2013/01/13

決心が鈍ったわけじゃない

 お正月の抱負は、「今年は家のことをちゃんとする。翻訳をやり、文芸賞などなどに応募しまくり、書くことで一旗揚げる。だから、飲食業界で働くのはもうやめる。」と、新学期の月曜日には、言っていた。確かにそう宣言したのだ〜〜。

 月曜日、前から気になっていた日本語の絵本を、フランス語に翻訳する決心をし、作者の方に連絡を取った。これからフランスの児童書専門か、あるいはアジア系出版物専門の出版社を検索しなければならない。

 そこへ火曜日、レストランから電話があった。夏休みの前に働いていたL'Epicurienというガストロノミーのレストランだ。おととし調理師の学校に行っていた時にも、一年間ここで研修をしたので、場所にも同僚達にもすっかり慣れている。夏にいっしょに働かせてもらっていたダミアンが、フォンドヴォーをグツグツ煮込む大鍋をひっくり返して、大変な火傷を負った。ダミアンは10月から休んでいて、その間に辞めた人もいたので、レストランの雰囲気はちょっと変わっていた。ダミアンは今月復帰予定だったのに、いまだに傷口が出血しているとかで、休みが延長された。おそらく5週間ぐらいの臨時雇い。

 と、いうわけで、わたしはいつまでの臨時になるかわからない。

 9月と10月に、シェフに「今年雇ってもらえる予定がありますか?」と連絡していた時に、返事がなかったので、そのあと入れ替わりで依頼のあった、中学と高校での日本語の授業を優先した。「呼んでくれるところがわたしを必要としているところ」と考えたので、今年は前のようにとりあえず「日本語」関連に戻ろうと決心した。中学と高校とは契約書を交わし、時給でいくらぐらいもらえるかも決まっている。
 夜に働くことになったら剣道にも行けないので、レストランでの仕事はやっぱりね。。

 「日本語と剣道の授業があるので、火曜日の昼と木曜日はレストランで働けません」
と正直に言ったら、それでもいいから来てくれと言う。大好きなシェフにそう言われたら、そこまで言ってもらえるならと、、、出て行ってしまう。

 けっきょく、華やかなことは何もやってない。ただの臨時調理人だ。地下の静かなキッチンで、集中力と忍耐の必要な細かい仕込みや、みんなの嫌がる冷たくて汚い作業を、黙々と、一人でやっていることが多い。でも、上の調理場で怒鳴られたり、急がされて思うような仕事ができなかったり、ヘマをやって怪我をしたりするよりは、ずっとわたしに向いている作業ばかり。わたしが「終わりました。次はなにを?」と報告に行くと、みんなは「ええっ!もう終わったの?パーフェクト!」と喜んでいう。時にはびっくり。

 レストランで働く人たちの食事を用意したりもする。残り物を利用してすぐに食べられる食事を。お昼のサービスが15時ごろ終わったら、ダッシュでカーモーに帰って、16時ごろから家族のために夕飯の支度をする。18時から始まる夜のサービスのために、17時には家を出なければならない。往復する時間があったら昼寝すればいいんだけど、数分でもゾエの顔を見たいし、家族のための食事の支度をしたいので、できる限りは帰宅する。家でも料理をする調理師は、このレストランではわたしだけだ。みんなは忙しすぎるし、独身だったり、男性だったりするので、仕事から帰ってまで家でも料理をするのは、わたしだけだ。わたしは自分の家族のために作った日本食などを、レストランに持って行く。シェフは喜んで食べる。

 「レストランが休みの月曜日に、みのりはシェフといっしょにお料理教室をやればいいのに。。。」これはシェフの奥様のアイディア。じつは、日本語を教えている高校の、調理科の生徒といっしょに、日本料理を作る予定がある。二時間料理をして、二時間はメニュー作りを兼ねて、書道と折り紙をやる。

 クリスマスの売り子の仕事では、横柄でわがままなお客さんを前に、「中国人労働者」と思われているわたしは、冷たい扱いを受けた。お店の同僚達は、よくわたしに「あんなことを、あんな風に言われて、よくニコニコしていられるね」と、わたしの代わりに腹を立てていたけれども、「こういうこと、よくあるよ。ガイジンだから」と応えることがしばしばあった。
 このようないやな経験を含めて、今年は、居心地のよい日本語の生徒と、剣道の生徒の中で、のんびり過ごして行こうと決心したのだ。

 料理の世界で、日本人であることがアピールできるとは、考えてもいなかった。
おもしろくなりそうな一年が慌ただしく幕を開けた。おたのしみ、おたのしみ。
 

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