2012/10/16

ヤカラのおかげです。ありがとう。

 きのう(月曜日)から、声がもうぜんっぜん出ない。金曜日からずっとパリで剣道やって来たので。張り切りすぎてしまった。いつものように。通訳もやった。人がたくさんいたので、声を張り上げなくてはならなかった。

 「みのりさん、気迫が足りないよ」と、仲良し大好きな剣道仲間から言われるのである。「気合いはいちおう入ってんだけどね」とも。「そろそろ気勢と品格、気位が大切」と先生はおっしゃる。二週間前に、五段の昇段審査を受けたのだ。それでめでたく五段に昇段したので、元立ちをやらなければならなくなってしまった。責任重大なのである。

 元立ちというのは、まあ、向き合った相手を指導する立場みたいなものだ。何か指導できる要素を備えていなければならないらしいのだ。でも、わたしは相変わらず自分にあんまり自信がないように、見えるらしい。おかしいなあ。

 剣道の講習会ですれ違う人は、ほとんどが日本人好きで、日本のことを知りたく、日本人の友達が欲しい。だから、わたしがその辺を歩いていると気軽に声をかけてくれるし、誰もがにこやかに挨拶してくれる。名前を覚えてくれる。日本語のクラスでも同じだ。なのでわたしはこの二十数年の間、あちこちで大切にされて来た。ありがたいことだ。

 たまに、わけわかんない人もいる。わたしが優しいことを言ったり、にこやかにしていると、どうも神経に障るらしい。「礼で始まり礼で終わる」と言われる剣道やってるくせに、挨拶しても返事ができないヤカラだ。「ゆるせん!」のである。そして、そういう許せんヤカラが、わたしを透明人間のように見過ごして、目の前を通過するたびに、イラッとするのは、修行が足りない証拠なのである。なんで自分が透明人間になってしまったのかを考えていた時に、親しい友人から、「気迫が足りないからだ」という意見が出た。「ちょっと、そこのヤカラちゃんよ、あんた、あたしがコンニチハって言ってるでっしょーがっ!」と、ヤカラの肩をとっ捕まえて喝を入れるぐらいの「気迫」が欲しいと、友は言うのである。友だったら、見てないで代わりにとっ捕まえて欲しいところだけどねえ。

 「アンタ取り柄ないんだから、ニコニコ笑って世の中を渡れ。挨拶されたらさわやかに応え、嫌なこと言われたら口答えせずに聞き流せ。」
と、言われて大きくなった商売人の娘なのである。そのような商売人の娘として20年間親のもとで暮らした。家を出て、国を出て、はや24年を親のいない所で暮らしているのだということには、最近ふと気付いた。海外暮らしも板に着き、フランス人相手もかなり有段者になってきた。なのに、どうして自己主張というものは、日本人のままなんだろう。

 わたしの自己主張は、やはり「ニコニコ笑って、挨拶されたらさわやかに応える」であり続ける。うちにいて、アタマがカタマって来て、顔色も目つきも悪くなり、ヒステリーを起こし始めると、家人に「剣道で発散して来い」と言われるぐらいだから、やっぱり、道場はわたしの「道を探す場所」なのだと思う。そこに行ってまで、挨拶もできないヤカラの機嫌を取るなんぞ、無理。無理。そういえば先日の講習会は体育館だったから、道場だたらちょっと違っていたかもしれない。「道場」という場所には、不思議な力があるものなので。

 と、いうわけで、わたしはそのヤカラをとっ捕まえて、返事が来なくても構わずに「こんにちは」と元気よく言う。突っ返されてもいいので、優しい言葉をさわやかに言ってみる。無視されても平気で「あなたはいかが?」などと誘いをかける。ご機嫌を取っているのではない。こうなったら嫌がらせだ。ひひひ。ヤカラの困った顔が、いい気味だ。

 さあ、どうだ、かかってこい。こんな暗い顔をして道場に立っているヤカラは、わたしのように澄み渡る声も出ない。切れ味抜群ですっきりさわやかな返し胴もできない。どうだ、参ったか。。。。あら、いつの間にやら負けず嫌い?勝った負けたじゃないんだけれども、マイペースで楽しくやってるわたしの方が、ずっと人生有意義に謳歌していると、確信する。明日、死んでも悔いはない。この(ない)胸を張ってるあたりに、品格も出るというものよ。わっはっは。

 相変わらず気迫はないが、気合いだけは一応入っているのだ。ほら、声枯れてるし。ヤカラはきっと、あんまり声枯らしてないと思う。だって、小さい声で「こんにちは」も言えなかったもの。

 ああ、また、あのヤカラのことを思い出しているわたしって、器が小さいなあ。



昇段審査に向かう電車の中で読ませていただいた、角正武先生のご著書

クラブのみんなが待っていてくれた。ありがとう。

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