2009/10/05

わたしは試されている

 ゾエがパパに会いたいと一日中言っていたようなので、学校が終わってからダッシュでアルビに連れて行った。JPが入院している病院は、アルビにある。ずいぶん新しくなったような気がするが、じつは入院病棟まで来たことはないので、よくわからない。

 最後に来たのはたしか10年ぐらい前。
牛の糞がいっぱい転がってるヌルヌルした田舎道で、JPがカーブで滑ってスピンして、木にぶつかり、ごろんごろんと車ごと三回転ぐらいし、天井もドアもぐちゃぐちゃにつぶれた車の中で宙ぶらりんになってるところを引っ張りだされ、ミイラのようにぐるぐる巻きに固定されて救急車に乗った、あの事故以来だ。
 結婚を機に、バイクを売って買った新車のルノーだった。小さな車だが、今時の新車というものはよくできているらしく、背の高いJPは頭を打つこともなく、脚の長いJPは膝をけがすることもなく、上手にひと型部分に残った小さな卵形の空間にJPはシートベルトのおかげで宙ぶらりんになっていた。電気のこぎりで切り取られたドアから、「やあ」と言いながら出て来た。じつに恥ずかしそうな顔をして。たしかに、一張羅を着たミイラが「やあ」なんて、じつにとんまな姿だった。
 いつもの水曜日ならばノエミとわたしと三人で買い出し日となっていたのに、その水曜日に限って、就職のための面接があったので、一張羅を着て一人でアルビに出かけた。面接を受けて、一週間分の買い物をしてその帰り道に事故った。
 車のトランクを開けたら、様々な瓶が割れており、コーンフレークやパスタやお米が、ミキサーに掛けたみたいにぐっちゃぐちゃになっていたため、その週の食料品はすべてお預けとなった。草むらから、放り出されて壊れた眼鏡と携帯が出て来た。もしいつもの水曜日と同じように、わたしとノエミも乗っていたら、わたしたちも見事とろ〜りなピュレになっていただろう。
 形を残してあの車からよみがえったのは、JPだけだった。

 思い出の病院である。

 今回は《内分泌科》なる場所に検査のために入院している。きのう入院したとき、「尿検査だけ。らくちんらくちん」と余裕を見せていたJPだが、ゆうべ八時から、四時間ごとに尿と血液をとられ、血圧が測られたらしい。今日は一日中、レントゲン検査とスキャナーと、内診と問診を受けた。ずいぶんお疲れのようだ。わたしはきのう「ザマミロ」などと思っていたので、管をつけてげっそりしているダ〜リンを見て、急にお気の毒になった。

 廊下を歩けば、身動きできない人や、意識不明の人や、不安そうな家族や、泣いてる人や、走っている医者や、怒鳴り合ってる看護師たちや、まずそうな食事をのせたキャリーや、なかなか来ないエレベーターや、車いすで通り過ぎる人々の姿や、廊下は静かに歩きましょうと呼びかけるポスターなどがある。病院でなにが切ないかというと、それは、遠くで鳴ってる救急車のサイレンと、廊下でいろんな病原菌を吸い上げている空調の、ブーンとうなる低い音。ノエミは病院に入ったとたんに「臭い」と言い、(ぜんぜん臭わないのに)「奥歯がガリガリ気持ち悪い」と盛んに言っていた。
 子ども達まで声を潜める。
 
 外の温度をまったく感じない、ゆうべと同じ温度の部屋で、白い壁と向かいの病棟を走る医者の姿を眺め、いつドアが開くかとびくびくし、今日はどんなものが夕食に出るのかとドキドキする。こんな部屋でJPは丸一日過ごしたのか。ああ、気の毒に。
こんな所から帰って来れなくなったら、いやだなあと思う。

 満月が一日分だけ欠けた、大きくて黄色い月を見ながら、カーモーに戻って来た。車の中でゾエは一言もしゃべらなかった。
月を仰ぎながら、「わたしは試されている」と思った。

 じつはJPの顔を見るまで、一日中腹を立てていた。あさ玄関先で、怒鳴り怒鳴られたせいで、一日中不愉快だった。なぜ、あのような人のために貴重な一日を台無しにしてしまったのだろう。わたしにはやることと考えることが山のようにあったのに。優先順位と、なにが自分にとって一番大切であるのかを見直さなければならない。こういう時にこそ。あかの他人に喰って掛かるのは、わたしらしくない。どうしちゃったんだろう。これではいけない。

 さあ、早く寝て、あしたに備えよう。あしたは朝日を拝んで、おいしい空気を吸って、できるだけにこやかに過ごそう。弱気を捨てて、前向きな強気で行こう!キレないように、キレないように。

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