2009/03/11

なぜ逝き急ぐのか

 すごく、重いテーマだ。

ひーちゃんが生まれた時に「次は誰だろう」と思ったら、てーさまだった。
りーちゃんが生まれた時に「今度は誰だろう」と思っていたら、JPのおばさんだった。
JPのおばあさんが逝った時には、ノエミだったし、
JPのもう一人のおばあさんの時には、ゾエだった。
そして、ノエミとゾエの従弟のコランは、父の代わりだと思っている。

 不思議なことだが、誰かが去るとき、代わりの誰かを置いて行ってくれてるような気がするし、誰かが生を受ける時、どこかでべつなともしびが消えて行ってるような気がする。自分の周りで。

 とっても、ふしぎなのだ。

 明日、JPと二人でお葬式に行く。
JPはスーツなんか持っていないので、ジーンズで行くんだそうだ。
わたしは、黒い服だったら捨てるほど持ってる。普段から黒い服しか着ないから、この前の週末の誕生日も「葬式に行くみたい」と言われたのだ。そんなこと言うもんじゃなかったのに。
だから、今度からJPの両親の家に遊びに行く時には、お葬式を思い出させないように、もう、黒を着るのはやめるのだ。

 おばさんはとってもダイナミックな人で、ダイナイマイトが隣で落ちても、彼女だけは生き延びられそうな人だった。お歳はもう80を越えていたけれども、夢がいっぱいあって、活動的な人だった。
なのに、いきなり襲った体力の衰えに、自分の辛い将来を見たのだろうか。
数ヶ月前から楽しみにしていた、お友達同士でのエジプト旅行を、キャンセルすることになった一月の寒い日に、元気のないおばさんとごはんを食べた。あのとき、おばさんはなんと語っていただろうか?なにかしらの、サインは出ていなかったか?
自らの命を絶つというのは、いったいどういうことだったのだろう。
そして、子どもたちに残した手紙に書かれていたように、愛するフランツのもとに、たどり着けたのだろうか?
残された子どもたちは、最後の電話をもらった妹は、これからどんな気持ちで生きていくのだろう。

 わたしは、自分の子どもたちに、なんと言ったらいいのかわからない。
信じていた人に、裏切られたような気持ちだが、相手はわたしたちを信じて、助けを求めていたのではなかったかと思う。

 お天気は最悪で、暗く、太陽からも見放されてる。
とっても辛い一日が待っている。

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