2008/12/31



 11月に日本から戻り、日本で見たり聞いたりしたことについて、書きたいことは山ほどあったのに、なかなか書くことができなかった。なんでいつもこんなに時間が足りないんだろう。2008年のお正月にもらった日めくりカレンダー。開くこともなく大みそかになってしまった。

 年が明けようとしている今日、なんだかいきなり焦っている。やり残したことが山ほどある。ノストラダムスが言ったように、世界の終わりがやって来るとほぼ確信していた、あの、1999年の大みそかにさえ、やり残したことはいっぱいあったのだから、しょーもない人間だ。あれからほぼ10年近く《生き延びた》というのに、ぜんぜん成長が見られないなあ。

 JPの両親の家に子どもを置いて自宅に戻ってから、この2日で気になるところを磨いたものの、思うようには家も片付いてないし、年賀状を書いていない相手もたくさんいる。その中にはパソコンで一斉メールを送っても、見ることのできない人もいるので、やっぱり年賀状を書かなければと、けっこう焦っている。なのに、パソコンの前に座っている。これからまた大みそかの夜を子どもたちと過ごすために、JPの両親の家に戻るというのに、服にはアイロンも掛かっていないし、洗濯も終わってない。

 でも、全体的に見て、いい年だった。片付かなくても淡々と進んだ年だった。
 健康について、生きるということや死ぬということについて、笑うということについて、そして、感謝するということについて、いっぱい感じ考えた。それらのことについて、反省したり(でも後悔はできるだけしないように)、前を向いたり(でもあごを引いて)、学んだり(教え子たちにまで学ばされて)わたしは、《一回り大きくなった》年だったのではないかと思う。身体も一回り太くなった。わたしの人生で1番デブだ。これは健康によくない。

 たしかに3つの悲しいお別れもあったが、その代わり2つの新しい命との出会いがあった。出会いはそこここにある。どうして今までですれ違ってばかりいたのかわからないぐらい、思いがけなく身近なところに出会いは待っている。出会いのあとに別れがあるのと同じで、別れのあとにも出会いがあるのだと、そして、別れのおかげで、あの別れがあったから、新しいこの出会いが訪れたに違いないと、去って逝った人たちと、必然的な運命に関わってくれた多くの人やものごとに、お礼を言いたくなる。

 お礼を言うこと、感謝の言葉を捧げるということの、なんと素晴らしいこと!
まるで魔法の言葉だ。
感謝の言葉は、自分も人も変える。ものや時間までも変える。
帰る家のあることと、そこに待つあたたかい家族のあることを思うと、寂しさなどはなくなる。健康な身体があるおかげで、思った所に行け思ったことのできる幸福を考えると、なんと自分は恵まれているかと、やっぱり感謝したくなる。

 おかげさまで母も元気そう。家族旅行ができて、本当によかった。
そう、その旅行については、絶対に書いておかなければならない。

みなさん、今年もいろいろ、ありがとうございました。
 来る年が、穏やかでありますように。
きっとみのりある年になりますヨ。信じて、信じて。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 みのり

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