2008/07/15

革命の記念日





証拠写真
若くてスマートな彼。
(てっぺんはアンテナじゃないよ)





。。。なので7月14日は祝日。大黒柱のJPは、翌日から仕事なので、専業主婦のわたしは、溜まった洗濯物にアイロン掛けを。
さて、大嫌いなアイロン掛けの苦労を忘れるために、テレビでも見るか。
朝から、シャンゼリゼでの軍隊行進を報道していた。
昼はコンサート、夜は花火大会だそうだ。
13日から14日に移る深夜には、パリ周辺では300台の車が燃えたと言うし、首都はにぎやか。

 1995年7月14日の軍隊の行進を、見に行ったことがある。ダカールで。
その頃JPは、ピシーッと完璧なアイロン仕立ての白いシャツの似合う、海軍の軍人さんであった、ので。
当時のJPは、ちゃんと自分で制服にアイロンを掛けていた。朝起きたら、シーツをピシーッと張って、ベッドメイクをする人だったし、髪の毛もしょっちゅう切っていたし、無精髭とは縁がなかった。
 いつ呼ばれてもいいように、制服は大事に仕まってあるけど、もう着られないでしょー。

 さて、シャンゼリゼの軍隊パレード。
今年はじめて国際連合国軍の兵士たちが、パレードに招待され論議を呼んだ。
145人の中には、ゴランで駐屯中の35人(カナダ・オーストリア・・クロアチア・日本・インド・・ネパール・ポーランド・スロバキア出身の兵士)がパレードに参加。ゴランでは現在1046人の連合国軍兵士が平和のために働いていて、1974年以来42人が死亡したという。パレードに参加する笑顔の日本人女性兵士を見て、びっくりした。日本も海外に兵隊さんを送っているのかあ〜。

 145人中98人はレバノンから、このパレードのためにフランスに来た。レバノンでは今12383人の連合国軍兵士が働き、1978年以来263人もの命が奪われた。

 残り、12人はキプロス島から。オーストリア・アルゼンチン・カナダ・クロアチア・ハンガリー・スロバキア・イギリス国籍を持つ兵士たち。キプロス島では44年の間に168人が帰らぬ人となった。

 きれいな制服や、騎馬隊の晴れやかな姿や、珍しい戦車や、青空を飛び交う戦闘機や、そんなものを見ながら、なんとも不思議な気分だった。そういう軍隊や、おもちゃみたいなトラックや、華やかに大空を飛ぶパラシュートは、もしかしたら7月14日のパレードのためだけに訓練されていて、軍人さんというのは一年中、この日に誇り高い姿を見せるためだけに、軍人さんをやってるんじゃあないだろうか?と思った。

 でも、たしかに、わたしはこの目で見た。
太平洋の海の上に、島々の隠れた入り江に、いつでも出て行ける艦隊がいるのを。
湾岸戦争の時に、慌てて出て行った若者たちを。
アフリカの旧植民地に置かれた、フランス国旗をかざした基地を。
港を出て、遠く岸から見えなくなるまで、船上で敬礼する船乗りたちを。
そして、アイロンがピシーッと掛かった制服を。
 
 JPは、もうわたしがどこに制服をしまっているかさえ、気にもかけない。シャンゼリゼのパレードも、ど〜うでもいいらしい。

〜〜〜
 夜は、リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」を観ながら、ビーズでネックレスを作っていたら、近所でものすごい爆音が鳴って、びっくりして玄関を開けた。すぐそこの公園で、革命記念日の花火大会をやっていて、玄関から丸見えだった。JPは、すでにぐーすか寝てしまっていて、あんなにすごい花火の音も聴こえないらしく、わたしはひとり寂しく、玄関に立って花火を観た。

 爆音も火花も、警報も聴こえないでは、も〜軍人は無理だろう。
よかった。

7月14日の模様をニュースで。右上にビデオもあります。
http://info.france2.fr/france/44954615-fr.php#

Aucun commentaire: