2008/04/08

おたん生の火



子供の頃の4月8日と言えば、やはり、甘茶とお線香の香りと、そしてゴロゴロと動く、白い紙でできた象だった。
わたしの通っていた幼稚園では、お釈迦様のお誕生の日に花祭りをする。今も子どもたちは、あの象の後ろを並んで歩くのだろうか?白い象さんは、この日は色とりどりの紙のお花で飾られ、お釈迦様もピカピカに磨かれていたのをよく覚えている。

 2004年の4月8日は、姪っ子の高校の入学式で、愛ちゃんは、じいちゃんのお葬式に参列できなかった。前日に入学式を済ませた紫野ちゃんは、新しい高校の制服で参列した。わたしはこの日、一体何をしていたのか、全然覚えていない。引っ越しの段ボールに囲まれて過ごしていたのではないかと思う。姉2人から実況中継のメールがずっと来ていた。

 紫野ちゃんの新しい制服は、従兄が送ってくれた写真で見た。従兄は、わたしの代わりに参列してくれた友人たちや、親族代表で挨拶してくれた別の従兄の写真や、霊柩車や、花輪や、ありとあらゆる写真を送ってくれて、わたしはそれが届いた日に、一回だけ、見てしまったので、母がどんな顔で泣いていたか、姉たちの目がどんなに赤かったか、そうして、どんなにたくさんの人たちが涙を流していてくれたか、その(たぶん)一部を目に焼き付けてしまった。そんなの、見なければ良かった。

 声だけが聴こえない。音は聴こえない。何も聴こえない。そこで黒い服を来ている人々は、死人のように口をきかない。誰もわたしを責めない。誰も慰めたりしない。誰もわたしを見ていない。みんなの輪の中心になっている、肝心の父の顔は、見ることができない。だから、写真の上からでさえ、触れることはできない。
 お葬式用に飾られた写真の、その父を、わたしは知らない。これはわたしの知っている父ではない。わたしは父を知らなくなるまで放っておいてしまった。
 そうして、だから、わたしは、父が、本当に、その四角い箱の中にいるのかどうかさえ、実は、わからない。

 「今日は、いろんな人からお花がたくさんお花が届いたよ。お父さんはいい季節を選んだものだねえ」
去年のように、今年も母は、花に囲まれているらしい。
母は花が好きだったけれども、父は、花なんか好きでもなんでもなかったのではないかと思う。
父が好きだったのは、海や風や竹やぶや林や泥や畑やキノコや。。。そういうものだったのではないかと思う。
JPが「命日だからお花でも送ろうよ。なに色の花を贈るべきなんだろうか?」と訊いて来た。「白?紫?」
「今日は花祭りの日で、花束はお母さんのために贈りたいから、できるだけ派手で、明るい色の花束を送ってちょうだい」と頼んだ。

 ノエミが日本語を勉強するようになった。ばあちゃんに毎日メールを書いている。ばあちゃんからもメールが届くようになった。今日はちょっとだけ、電話でも話ができて、本人はかなり喜んでいた。
 みんなでお線香を上げる。ヒヤシンスを買って来た。ろうそくも灯す。ろうそく立ては、ゾエが幼稚園で作った。
クスノキを掘って作った私たちのおぼうさまが、ろうそくの光に揺れている。

 父が、こことは違う世界で、生まれ変わった日が静かに過ぎ去り、また、明日が来る。



 

 

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