2008/04/03

2月19日 しゃぶしゃぶ

 郵便局から、船便やら航空便を全部で5箱ぐらい送った。
向こうで受け取ってから「なんでこんなものを送ってしまったんだろう」ということになるのは、まあ、経験上確実だけど、またしても郵便局に奉仕してしまった。。。
 
 お昼は鹿児島の姉達と食べる予定だったのに、午前中いろいろ動き回っていたら、遅くなってしまった。

 しゃぶしゃぶなんだそうである。ミーさんでさえ、何度も経験済みのしゃぶしゃぶだが、わたしは、ちゃんとしたしゃぶしゃぶを食べたことがないので、実に楽しみ。

 ちいさなお庭の見える静かな個室で、落ち着いて食べることができた。それになんといっても薩摩黒豚、とってもおいしかった。姪っ子達とも話が弾み、楽しいお昼となった。

 午後、どうしても指宿図書館に行きたかったので、早めに鹿児島から帰る。

 二つの指宿図書館をよく覚えている。
 一つは中学の時に通った、木造の崩れそうな図書館。自分の中学校の同級生に、そこで会ったことはなかったかもしれない。当時は二月田駅のほうにあって、指宿市の中心に住んでいたわたしたちにはとっても遠かった。

 その図書館が廃館になり、新しい図書館は指宿駅のすぐそばで、とっても便利になった。近代的で明るい建物になり、なんと言っても本の数が増えた。高校の時には、お小遣いでは買えないハードカバーの小説をよく借りた。短大の時にはよく調べものに行ったし、友達といっしょに教員試験の勉強をした。人の少ない時間に、大きな窓の前の日だまりに座って、ちょっときしむソファーに座り込んみ、木の床に脚をつけて、できるだけ分厚い本を、抱えるようにして読むのが大好きだった。

 短大の時に、この図書館の本棚で、自分の書いた作文を見つけたのだ。
海外に行ってから、よく文章を書くようになった最近になって、あの作文のことが気になって仕方がなかった。特に現在、小学高学年から中学生向けの本を訳しているし、その年齢向けの本をよく読むので、自分がその年齢に、どんなことを書いていたのだったろうかと、ものすごく気になっていた。

 文集「いぶすき」を探し歩いたが、昔とは本棚の位置が変わっていて、自分では見つけられなかった。司書の方に訊いてみたのはいいが、「平成何年度ですか?」と訊かれて、さて、困った。
「すみません。今、平成何年ですか?」
こんな質問をしてしまうと、いつも日本の人に「あれ?この人、ヘン」という顔をされる。
 「えーと、年齢で逆算して、、、中学2年生の作文だったと思うから、、、今から26年前ですかねえ、、、1982年?、、ってことは、昭和何年ですかねえ?」
 司書さんも困っている。2人して別々に、ぶつぶつ言いながら何やら数字を書いて計算する。司書さんはやっぱり文系の人間なんだねえ〜。わたしも司書の免許もってるんだ、実は。計算できないねえ〜〜。もう一人出て来て、別な紙に計算している。

 探してもらっている間ブラブラしていると、《てんちの杜》をやっている従兄がフラ〜と入って来た。
従兄は、こども達を集めて、図書館の横の公園でスポーツをさせていたところ、駐車場で居眠りしている母を見たらしい。この従兄はもうすぐ60歳なのに、フルマラソンもやっている。いぶすきの菜の花マラソンをもう15年ぐらい走っているそうだ。すごいなあ。
 自分の作文を探してもらっている話をしていたら、ちょっとこれ見てと言われた。それは『浮来亭』という新聞だった。創刊号からぎっしり詰まったバインダーが、ずっしり重かった。ぺらぺら読んでみたがとても面白かった。でも、全部読んでいる時間はなさそう。インターネットでも読むことができるというので、新聞の名前を頭にインプットした。フランスに帰ってからじっくり読ませてもらおう。
 そうこうしていると、奥から『文集 いぶすき 20号』が出て来た。記憶とは違い中学2年生ではなく、1年生の時の作文だった。1年1組だったので、文集の1番前にわたしのが出ていた。感動した。この年齢にしてはなかなか。今とほとんど変わらない文体。(ってことは、昔から成長してないってことだねえ〜嗚呼)
 その作文のタイトルはずっと覚えていたけれども、書いた細かい内容についてはすっかり忘れていた。自分以外の家族四人のことと、家のことなんかが、すごくよく書かれていて、わたしはこんな風に、中学生のわたしが見た家族を、ここにこうして残しておいて、ほんとうに良かったなあと思った。今はバラバラに離れてしまった家族のことを思うと、昔みんなでいっしょに暮らしていたことが、夢だったのじゃないかと思うことさえあるのに、中学生の自分が書いた作文の中に、ちゃんと《家族》が揃っていた。わたしのつたない作文を、こうして記録に残しておいてくれた、指宿市にも感謝したい気持ちだ。

 さて、明日は飛行機に乗る。

 迎えに来てくれた友達に、まだお土産も渡していない。いつでも会えると思っていたのに、なかなか会えなかった。まあ、そんなもんだろう。電話しても出ないし。また会えるよね。フランスからもって来たミーさんのチョコレートは、彦根から送ってあげよう。最後の夜には、会えなかったほかの友達数人から電話が来た。「次回は会おうね」と約束する。いつになるかね〜。

 マラソンマンの従兄が奥さんと一緒に遊びに来て、私たちはフランスの写真集をいっしょに見た。いつか遊びに来てくれるそうだ。
もう一人の従兄は、数年前に家族でフランスに来てくれた。本人のブログで、フランスの写真をたくさん公開してくれている。
(いぶすき情報と篤姫情報もあり)http://imasami.mo-blog.jp/photos/france/index.html
明日は、またまた別な従兄が、朝5時に起きて、空港まで連れて行ってくれるそうだ。

 従兄達がお母さんのことをよくしてくれるので、本当に助かります。ありがとうございます。

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