2008/03/26

フルマラソン

 わたしは、さっきから、何をしていたかと言うと、じつは、泣いていた。
こんなふうに書くと、読んでくれている何人かの親戚と、たくさんの友だちは、きっと心配してくれると思うのだが、「心配させちゃえ〜」と思いながら、こんなことを書いている。

 友だちはたくさんいる。基本的に嫌いな人とはつきあえないから、自分に優しい、いい友だちしかいないと思っている。ありがたいことだ。
 例えばわたしが「相談に乗ってよ」と言えば、みんながみんな、「どうやって相談に乗ってあげようか」と考えてくれるのだ。いつも。「疲れた」とか「悲しい」とか「めげている」と《宣伝》すれば、すぐにメールもいっぱいやって来る。まさか、この人まで日記を読んでくれていたのか〜と言うような人まで、久しぶりのメールをくれたり、する。

 先日、人の気持ちや自然の声や、人のぬくもりや、風の香りに敏感で、たまに魂の声まで聴こえる友人が、「エンドーさん、この人にはなんでも相談していいよ。きっといい答えをもらえるよ」といって、なんだか面白そうな人を紹介してくれた。つい2週間ぐらい前のことだったと思う。いつもは、その魂の声が聴こえる彼に話を聞いてもらったりしているのだけど、本人は「もっといい人がいるよ」と言って紹介してくれたのだ。とっても有り難かった。これで《相談できる人》がわたしの人材バンクの中にもう一人増えた。

 でも、「はて?なにを相談しようかね〜」と思って、3時間半ぐらい考えたけれども、何も浮かんでこないじゃあないの。わたしには「悩み」というものがないんだろう。なんにも困ってない。わたしは健康で、生活にはそこそこに満足していて、物には不自由しておらず、とっても素敵な家族がいる。仕事も順調。半年のスペースで、立て続けに日本にも帰ることもできた。去年から今年に掛けて、フランスで日本人にもいっぱい会えて、その誰も彼もとおつきあいが続いているから、寂しいこともなかった。
平和だ。実に。

 なにがそんなに悲しいのと言われても、困る。悩みはないんだから。
ただひたすらに空しい。。。と言うと、そうかもしれない。

 さっき、泣きながら「誰に話を聞いてもらおうか?」と考えて、フランスは夜中で、日本は早朝で、誰にも電話できないことに気づき、もっと悲しくなった。朝が来たら、心のとも《とし》に電話して、天文館の話と、子どもたちのキョーイクと、今晩のおかずの話をして、いっしょにガハハと笑い飛ばそう。
 たまに「こんな時間に携帯メールで起こされた〜」と言いながら、日本時間の3時ごろでもちゃんと返事を書いてくれるヒトもいるんだけど、あイつはこの頃頭が痛いらしいので、夜中に起こすのだけは遠慮している。
 実際には電話はあまり好きじゃないから、「じゃあ、誰にメール書こうかなあ?」と思ったら、こんなにたくさんの名前がアドレス帳に並んでいるのに、コノワタクシトシタコトガ、そこにある名前のオンパレードの誰も、今日のわたしを慰められないと、思った。

 あの人にはこれを聞いてもらえる。彼にはあのことを言えばわかってもらえる。でも、こっちは彼女じゃないとわからないだろう。あの人は心配してくれるだろうけど、優しい言葉なんか言えない人だ。あの娘は優しいことは言えるけど、厳しいことを言ってくれる勇気はないだろう。あの友だちは話してもわからないだろうけど、聞くだけは聞いてくれるかもしれない。あイつだったら答えをくれるかもしれない。でもそれがわたしにとって満足できる答えじゃなかったら?
 友だちみんなに《持ち場》や《のれる相談ごとの得意分野》があって、《経験と実績》がそれぞれ違うので、結局、誰にどうやって助けてもらったらいいのやら、本日の涙のわけはひとつじゃないから、どうしようもないな〜と思った。

 そして、ふらっと、従兄が執筆している小さな新聞の、彼のコラムを読むに至った。その新聞は《浮来亭》という名前で、その名前にフラ〜〜と引きつけられてしまった。
 従兄のコラムは「フルマラソン」というタイトルで、わたしは、こんどはそれを読んで、嬉しくてわんわん泣いてしまった。こんな従兄がいたなんて驚きだ。こんな従兄だったら、「走ってでも」飛んできてくれるような、そんなスーパーマンみたいな姿が目に浮かんだ。

 人生は「山あり谷あり」「楽ありゃ苦もある」「大海原の航海をするようなもの」そして「人生はフルマラソンのようなもの」だとか聞いていて、確かに「ここまで墜ちたら、あとは昇っていくだけ」というような経験も味わったことがあると思っているのだけれど、とにかく心身ともに健康で、本気で自分と闘える人間じゃないと、行き着く先にある喜びにはたどり着けないのかなあと、本日思った。ゴールを切った時のさわやかな気持ちは、積み重ねとか、汗とか、痛みとかの、ご褒美みたいなものなんだろうか。ゴールを切れた人の中には、たぶん、自分の思う通りのゴールを切れなくて、涙する人もいるのかもしれないなあ。「苦しいのに走り続けるって、どうなの?」という人はきっといるだろう。「苦しい時はやめちゃえ」と、言ってくれる人もいるんだろうなあ。
 でも、「苦しい度」は人それぞれ、「痛み度」もレベルいろいろ、「限界」も様々なタイプがあるので、「みんながんばって、必死にマラソンをしましょう。ゴールを切れない人はダメダメ、あなたは人間失格です」なんて、言えないよねえ。「がんばったんだから、ビリは嫌」か「がんばったんだから、ビリでもいい」か。。。人それぞれなんだろうなあ。わたしはこれまで「目標立てたからにはまっしぐら、がんばったからにはビリは許せん」というエスプリだったような気がする。あんまり根性がある方でもないくせに、人目が気になる人間なので。ゴールで「よくがんばったね〜」と褒められるのだけが、目標だろうな。わたしが走るとしたら。「ミノさんすご〜イ」と言われたいだけの目立ちたがりか?(でも、マラソンはできない。少々根性あっても生半可な体力じゃねえ〜。)
 思うどおりの結果に至らなくても、マラソンが行われたその日の晩、温泉に浸かりながら「ボクは昨日より成長した」と感じられたら、素晴らしいなあ。うらやましいなあ。輝いて見えるなあ〜。          
 ゴールを切ったら、それで終わりじゃないんだろう。そこからまた始まるんだろうなあ。ダブル・フル・マラソンとか?

たしかに、卒業式のあとには入学式があった。
「ゴールイン」のあとには「二人三脚」が始まった。
9ヶ月で身体が軽くなれると信じていたのに、肩の荷は重くなった。
年越しソバのあとには、ちゃんとお雑煮が待っている。


 わたしに相談相手を紹介してくれた例の友人は、「エンドーさん、指宿は世界の果てなんだよ。ぼくたち、世界の果てから来たんだよ」と言った。わたしはいつも、カーモーから指宿に帰るたびに、「どうしてあんな世界の果てのフランスなんぞに行っちゃったんだろうか」と思っていたので、指宿のほうが《世界の果て》だったんだよと言われても、まあ、距離は同じだ。そうか、わたしは《地球の裏側》に来てしまったわけね。そして《世界の果て》に戻って来る。《果て》というのは本当はそんなものなくて、ぐるっと回って帰って来るしかない場所なんじゃないだろうか?と思った。地球の裏側から世界の果ての距離は縮まらない。人生の出発点だと思っていたのに、実はそこは世界の果てだった。油断をしていると、いつもだれかがわたしをあそこに引き戻す。身体か心か、その両方か。とにかく、あそこに戻るようになっているらしいことが、最近わかってきた。いやでも思い出させる。そして、思い出すのはいやじゃない。

 今週は、《地球の裏側》から、《世界の果て》にいる家族について、いろいろ考えた。そうして、何もやってあげられない空しさに包まれて、そろそろ涙が涸れてきた。なんだ、たった一時間で涸れる程度だったか。。。そんなもんかあ〜。

 わたしはちょっとマイペースなるものをスピードダウンして、もっと自分に優しくなろう。このままではゴールの快感を味わう前に、電池切れだ。人に振り回されてると言いつつ、自分を振り回しているのは、自分の判断力のなさだ。と、まあ、そのことだけにでも気づいたら、一時間前よりも気が楽になったみたい。
ご清聴ありがとう。やっぱり一方的に書く方が、好き。
そして、わたしのことを《お好きなように》心配してあげてください。ふふふ
いつか「おつりはいらね〜よ」と言えるようになるので、きっとなるので、出世払いに期待をかけてね。

 《てんちの杜》に、はやく蛍が飛びますように。

 http://www.synapse.ne.jp/rentarou/155.htm

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