2008/03/21

電池切れ

 ネクトゥーさんとお昼の約束をしていたので、わくわくの朝が来た。

と、思ったら、朝のコーヒーでつまづく。

 先日「安楽死」についての申し出を却下された、シャンタル・セビーさんが、自宅で遺体で発見された。
暗い気持ちでパソコンを開けば、そこには《悲しい知らせ》のタイトルが。
 今でも仲良くしている高校の同級生のご主人が、心筋梗塞のため急死した。
先日日本で会ったばかりで、50歳にもなっていない。

 その友だちに電話したり、家の中をうろうろ歩き回ったり、ブツブツ言ったり、郵便屋さんの相手をしてる間に、ネクトゥーさんとの約束の時間をとっくに過ぎてしまった。
電話すると、出ない。
ネクトゥーさんまで、ぶっ倒れてるんじゃああるまいね、と思って、またその辺をうろうろし、ドキドキし、5分後にまた電話をしたら、息せき切らせたネクトゥーさんが、「顔中に笑みをたたえてます」というような声で、「みのりが来るから、ヨカニセにしようと思って、風呂に入っていたところだった。オードトワレまでつけて待ってるよ〜〜」
ネクトゥーさんのオードトワレが、カーモーまで漂って来るようだ。

 ネクトゥーさんの家まで、高速を飛ばして45分以上掛かる。着いたらお昼を過ぎていたけど、ネクトゥーさんは「食べる前に、お経を唱えよう」と言った。
 待ってました。
 私たちはお線香を炊いて、テープに合わせて般若心経を唱えた。お経についていくのが精一杯で、《誰か》のことを考える暇がなく、一心不乱にお経を詠んだ。
 私たちのその《儀式》が終わると、今度はもうひとつのが待っていた。

「みのりには、《気》が抜けてる。自分のをちょっとあげるから、手を貸してみなさい」
椅子に向かい合って、わたしは80歳を超えたジ〜さんに、燦々と春の日が射す居間の仏陀の前で、手を握られた。
ネクトゥーさんの手は、ものすごく冷たい。
目を閉じて、2人で剣道でやるような呼吸法をやって、しばらくすると、ネクトゥーさんは、立ち上がったようだった。わたしの額や頭の回りに、手の平をかざしたりしているらしい。直接触ったりはしないのに、やがて、ネクトゥーさんがどの辺に手をかざしているのかが、わかるようになった。ネクトゥーさんの手があるらしき辺りは、そこに火の玉を持って来たみたいに、ポカポカ温かいからだ。わたしは先ほどの冷たい手が、時間とともに温まって、その熱を感じているのだろうかと思ったら、《儀式》が終わったネクトゥーさんの手は、始める時と同じぐらい、つまり、死人のように冷たかった。
 「これ以上やると疲れてしまうから、これぐらいで充電できたでしょう。わたしの《気》をあげておいたよ。熱を感じたでしょう?」
 「どうやったの?どうしてそんなことができるの?」
 「生まれた時に、こういう力をもらったんだよ。だから、どうやったのかと訊かれても困る。」
なるほど。。。と、言えるか?そんな。。。
ネクトゥーさんに《気》をもらったおかげか、おいしいイタリアンのおかげか、わたしはけっこう元気になり、ネクトゥーさんちのサロンと廊下と、台所とついでにおトイレも掃除した。
 ネクトゥーさんは《春分の日》のお日様をいっぱい受けて、玄関先の椅子で居眠りを始め、わたしも眠くなって来たので、ネクトゥーさんが大切にしている《にっぽん・ジャパン》という写真集を借りて、帰ることにした。ネクトゥーさんは、いつもわたしに《人質》ならぬ、《ものじち》を持たせる。そうして「それ、返してもらわなきゃならないから、早く遊びに来てね」とウインクをする。
 わたしが帰る時には、ネクトゥーさんは居間の大型液晶テレビで、スケートの選手権を観ていた。《日本のかわいいお花のような少女たち》3人の大ファンで、その美しさに見とれている。
 ネクツーさんは、「オンナは盆栽だ」と言う。
「そんなマッチョなことをよくも言うね」と反論すると、「女性には、手をかけ、日当たりや潤いを加減してやり、優しくしてあげないとダメ」というのが、《盆栽》の定義だ。
世の男性諸君にネクトゥーさんの爪のあかでも煎じてやらねばなるまい。
そして、こんな男性には、輝くような美しさを見せてあげて、わがままを言わず、へそを曲げず、心癒してあげなきゃならないのが《盆栽》の役割かもしれない。

 そうしてまた、10年以上もいっしょに暮らした相棒に先立たれた、友だちのことを思う。

        合掌


 

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