2008/03/06

はやくも なか休み 

 3月6日

 ミーさんとの珍道中記録は東京へ移動するが、ちょっとひとやすみ。
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 日曜日はあんなにいいお天気で、私たちは半袖を着てサイクリングをしたほどだったのに(剣道のあと。。。)、月曜日には雨が降り、火曜日にはアラレが降り、水曜日はいいお天気なのに14時に6度しかなく、木曜日の本日は、全国的に氷が張ってるらしい。

 ボボの散歩にコートがいる。手袋も出した。帽子もかぶった。
ジャン・ジョレス公園には、春が来ている。秋に掘り返され、種がまかれた芝生部分は、日一日と蒼が濃くなっている。
 前から子犬が来て、ボボが興奮するので、凍えた指に綱が食い込んで痛い。
方向転換。いつも通らない細道を通って、いつも通る大きい道に出て来た。
その交差したところで、地面に落ちている茶色い物体を、わたしは、見た。

 公園にはいろんなものが落ちている。日本の公園に較べるとけっこう汚い。掃除している人もいるが、この数ヘクタールにも及ぶジャン・ジョレス公園に、たったの3人ぐらい?1週間に1回しかすれ違わない。

 ちょっと先の方に行ってから、さっき地面に転がっていた茶色い物体がわたしを呼んでいるような気がして振り返ったが、物体を見失った。目で追って、そのあたりを注意して見て、位置を確認してからUターン。茶色い物体はひっくり返っていたけれども、それがわたしの所有物だということはすぐにわかった。

 数日前になくしたことに気づいて絶望していた、コートのボタンだった。
どこに落としたのか、いつ落としたのかもわからず、探すことはすっかり諦めていた。
茶色い物体を見たときでさえ、なくしたボタンとの接点について、考えもしなかった。

「とりあえず、落ちている物は拾う。」
そういう人間は、きっといつかはどこかでめぼしい物に出逢えると、信じているのかも、しれない?
わたしはよく拾い物をする。いつもうつむいて歩くからだろう。

 冷たい公園で、濡れたボタンを拾い、久しぶりにした手袋でそれを拭って、それを暖かいコートのポケットにしっかりしまった。
ふと、昨日、ある友人に書いたメールのことを思い出す。

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 「くそたわけ」の本が届いたら、きっと読んで、わたしも絲山さんに感想を書きたくなるかもしれません。
指宿に帰った時には、あなたが「あそこは世界の果てなんだよ」と言ったことが頭にあって、世界の果てが、案外近くにあることや、そしてなんと遠かったのかもかんじました。
 考えたら、世界はぐるぐる回っていて、確かに果てに来ているはずなんだけど、でも、そこは世界の始まりでもあるんじゃないかと思います。
 私たちの人生みたいなものは、あそこから始まっていたんだものね。きっとあそこに戻って行くのだろうと思います。
果てはないのかもしれません。
 世界の果てだと思うような場所に、何カ所か行きました。
ここでわたしの人生が終わるんだと思うこともあったし、もうあそこには戻れないと思ったことも何度もあるんだけど、でも、そのときどきの「世界の果て」で出逢うのは、わたしを指宿方向に導いてくれる人々であったように思う。
不思議です。

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「世界の果て」まで連れて行って、いっしょに戻って来たボタンが、ちょっと家出をして、またわたしの所に戻って来た。「地球の裏側」である、ここに。


「出逢った物事は、そのまま素直に受け止める」「来るものは拒まず」「去る者はとことん追いかける」「落ちているものは拾う」「転びそうなものは支える」そして、「支えてくれる人や拾ってくれる人や、拒まないでいてくれる人がいたら、遠慮しない」「借りれるだけ借りる」。。。。。
 自分には「方針」といったものが全然ないと思っていたけれども、けっこう一貫しているなあ、と思った。

 冬の終わりに、安物のコートのボタンを買い替えなくてよいことになって、気持ちがじつに軽やか。



 日本で同じ釜の飯を食ったミーさんには、フランスではあんまり会えない。本日やっと電話が通じたので、これから鹿児島土産の焼酎にチョロキューをつけて、チョコレート屋さんまで持って行くとする。面白いネタがもらえるかもしれない。。。ふふふ。。。


 

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