2008/03/27

2月17日

 鹿児島市内で働いている友人たちとは、どうも会えそうにないな〜と思っていたら、フミとラルが鹿児島市内に連れて行ってくれるというので、こっちから会いに行くことになった。待ち合わせの場所はむかし私たちが学生だったころは「ニシエキ」と呼んでいた場所で、今ではアミュプラザというショッピングセンターがあり、観覧車の回る《鹿児島中央駅》という名前の、近代的な駅になっていた。4年前にその観覧車を見たとき、乗ってもないのに、目がくらみそうだった。学生の時に、こんな所があったら、入り浸って、無駄遣いばかりしていたかもしれない。あの頃「ニシエキ」には臭いトイレと、暗いテントの張られた駅前歩道があって、ただ「通過する」所でしかなかった。ただ、駅前があまりにも華やかに変わってしまったために、当時輝いていた《若き薩摩の群像》の銅像がちょっとかすんで見えた。
http://washimo.web.infoseek.co.jp/Trip/SatsumaStud/satsumastud.htm

 アミューズプラザでお昼を食べた。せっちゃんとキョーコちゃんも合流。ゆかりちゃんと娘さんのみゆちゃんも合流。途中で、美緒ちゃんもご主人とやって来た。お昼の和食定食を食べ、みゆちゃんのオレンジジュースをもらって飲んだ。友だちの子どもがこんなに大きくなっていて、しかも素直でいい子に育っていて、お母さんとも仲良しみたいだし、なんだかとっても深い感動を覚えた。

 プラザの中にあるお店で店長さんをやっているリッキーに会いに行った。そうして、彼お奨めの《ゼ・ベスト・オブ・登川誠仁》《喜結納昌吉&チャンプルーズ》のCDを、JPのために購入した。視聴できるコーナーで、大沢誉志幸のむかし流行った懐かしい音楽を、アレンジしたものがあって、いつまでもそれを聴いていたかった。
 ファーストフードのお店には、変なかっこうをした日曜日の学生がいっぱいいて、最近の学生ファッションはズンダレてるな〜と思いながら。。。おばさんになったことを悟った。

 インテリアのお店には、フランス製のものがいっぱいあって、とんでもない値段で売られているのを驚きとともに眺め、日本で売られているフランス製のインテリアが、フランスで売られているのよりも小さくなっているのを感じた。
 テーブルでも椅子でも日本製の家具はとっても背が低い。ベッドのサイズは小さく、台所用品は場所をとらない設計だ。トイレ用品や、お風呂用品がかなり充実している。わたしは台所では、踏み台がなければ作業ができないし、ほかの家具や道具なども、わたしの体格では持ちにくかったり、重すぎたり、ふだんかなり身体に合わない暮らしをしているのだと思う。でも、普段はすっかり気にならなくなってしまっている。日本に帰って来ると、いろいろな物について「なんて便利なんだろう」「なんて細かい心遣いで設計されているんだろう」と思う。わたしは普段から、よっぽど身体に合わない暮らしをしているらしい。自分では気づかないうちに、いろんなことに我慢して、自分を合わせるように、上手に生きていけるようになったのかもしれない。

 今回はカンちゃんには会えなかったけれども、明日福岡に行かなければならないので、福岡までの高速バスの時刻を調べてもらうために電話した。パソコンでの検索で困ったら、いつもすぐにカンちゃんに頼む。彼に訊けばだいたいなんでも解決する。会えなくて本当に残念だった。

 途中、仕事中の《仲間》さんに職場まで会いに行き、彼女の仕事着のミニスカートを冷やかして帰って来た。
立ち話をする時間ぐらいしかなかったけれども、楽しいひとときだった。

 夜はお母さんといっしょにお好み焼きを食べに行った。
 むかしご近所で八百屋さんをしていた「トクドメ」のおじちゃんがお店をやっているのかと思ったら、そこのお兄ちゃんだった。父と息子って、こんなに似るものだろうか? 一瞬、トクドメのおじちゃんのところだけ、30年の歳月が流れていないんじゃないかと思った。でも、30年の歳月は完全に流れていて、トクドメという八百屋はなくなっていた。
 その前に会ったレコード屋さんもなくなっていた。 
 レコード屋さんの裏は、豆腐密造(?)の工場になっていて、わたしはそこに、片手鍋を持っていき、豆腐を買うためにレコード屋のドアを押したものだ。

 あの通りにはほかに《かどや》の花屋さん、ナッちゃんの自転車屋さん、靴屋の《うえはら》さんと、変な大阪弁をしゃべる《山本》さんのお茶屋さん(結納道具も売っていた)があった。《つばめ》のおじちゃんは散髪屋さんで、《トクドメ》では小僧ずしも売っていた。《エンドー帽子店》の隣は《クラや》っていうお茶屋さんで、その隣が《池元仏壇店》。そこのおじちゃんは、クジャクを飼っていた。仏壇屋の前に薬屋があって、そこに《リポビタンD》を買いに行くとカエルのゴム人形や風船がもらえた。仏壇屋の隣がおもちゃ屋さんで、その隣は眼鏡と時計のお店。眼鏡は買ったことがなかったけれども、高校に上がる時に、《松山時計店》で腕時計を買ってもらった。わたしの欲しかった時計は、母の予算を完全にオーバーをしていたのに、「欲しいな、欲しいな」と言ってお店で母に恥をかかせた。おじちゃんはきっとわたしに呆れていたと思うのだが、時計の値段を負けてくれたのではなかったかと思う。その時計はしばらくして、トイレに落としてしまい、使い物にならなくなった。時計というものは、今でもよく落としたりなくしたりする消耗品なので、スイスの高い時計なんぞは、間違ってもプレゼントしてくれるな、とJPに言っている。今毎日はめている時計はGUESSのカッコいい時計だが、実は義父が海岸で拾ったもの。
 時計を見るとあのおじちゃんを思い出し、あのおじちゃんを思い出すと、商店街のみんなを思い出す。区画整理でなにもかも変わってしまっていた。

 さあ、明日は4時に起きて、高速バスで福岡に行くのだ〜〜。

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