2008/03/17

2月14日 バレンタイン・デーの再会



心のとも、ピース・クボタ氏編集による御本ですので、買ってください。


 やっさんがついていてくれたおかげで、遅刻もせずに、約束の宴会場に着いた。
《宴会場》と思っていたら、ナチュラル思考のこーちゃんが予約してくれた、東京駅近くの《アリス・アクアガーデン》というお店は、おしゃれでシンプル、小ぎれいなレストランで、心が和む柔らか照明のお店だった。

 同級生たちが集まり始める。前回はしゃぶしゃぶのにぎやかなお店で15.6人以上は集まったのだけど、今回は平日の夜ということもあって、一次会は女子2名に、男子が4名。あとから合流した2名。うち男女各1名ずつは独身。バレンタインデーに、こんな所に来ているとは心配だ。人数が少ないおかげで、お互いのことをじっくり話せるからよかった。

 自転車屋のなっちゃんと22年ぶりに会った!うれしかった〜。
前に私たちが住んでいた商店街周辺には、同級生がたくさんいて、幼稚園・小学校のころは、よくみんなで遊んだものだ。商店街のバス遠足にもいっしょに行ったし、町内の運動会で地区対抗バトンタッチもした。
 4年ぐらい前に9年ぶりに帰った時に、自分が住んでいた所はなくなってしまっていた。なっちゃんちの自転車屋さんは場所を変えていて、お店はモダンなショーウインドーがあり、お兄ちゃんのやっし君の代になっていた。なっちゃんがまさか東京にいるとはつゆ知らず、夏の同窓会には不覚にも呼ばなかったのだが、お正月の同窓会で、なっちゃんとやっさんが会い、本日の東京版同窓会では、やっさんのおかげでわたしもなっちゃんとも再会できた。
 なっちゃんは今の彼女の年ぐらいの、わたしがよく知ってるおばちゃんと、瓜二つになっていた。つまり、とっても美しくなっていて、心も身体も丸くなっていたので、とっても嬉しかった。
 「うちは親父が厳しく、男性恐怖症なので、彼氏ができない」という言葉にもしみじみうなづける。あの親父さんはうちの親父並みに怖かった。なっちゃんは、あの親父さんにも負けない飲みっぷりだった。顔色も変えず、テンポも落とさず、ニコニコ笑いながらガンガン一気呑みをしていて、男子諸君もビビっていた。
 わたしはアルコールがダメな分、ひたすら食べてばかり。(わたしは昔から丸かったので許せる)お刺身や焼き豆腐など、なにかそういう《気の利いたもの》を友人たちはどんどん注文してくれ、「食べなさい、食べなさい」と言って、お皿を差し出す。

 タクちゃんがまた、いつものように横でニコニコしている。「んにゃ」の五段活用について講じている。夏には彼が一体どんな仕事をしているかさえ、ろくに話し合えなかったけれども、ようするに、彼は人に幸せをもたらすお仕事をしているとみた。昔から彼は世界中を笑いに巻き込んでいた。幸せクリエーターだった。
 こーちゃんも、死にそうなヤッさんも、楽しそうに笑っている。
夏には会えなかったフッガにも、高校卒業ぶりだった。彼はわたしの人生の中で最も暗い「自転車小屋での涙のわかれ」に関わっている重要人物なので、会ったら泣いてしまうかも?と思っていたのだが、あまりにも「昨日も会ったよね?」というような雰囲気だったために、感動の再会シーンを逃してしまった。
 「ビョーキ移るから触らない方がいい」というキモチも、ちっとはあったのかもしれないが、うわさで聞いていたようなビョー的な雰囲気はなかったのに、ただただ緊張してしまった。フッガがトーキョー弁を話していたからだろうか。
明日また会えたら、この緊張はなくなっているだろう。

 3次会から合流して来たピース・クボタ氏と、クマさんは、なんとわたしを差し置いてポリスの東京ドームライブを経由して来たのだった。帰国前からピース氏にいっしょに行こうよと誘われて、一時はすっかりその気になっていたものの、最後に残っていた入場料の1万円と、それに行くことで起こる東京プラス1泊を考え、その分で子どもたちにどれだけお土産を増やせるかな〜と、テンションが落ちた。でも、待望のピース氏編集のポリス本をプレゼントしてもらったので、それにサインしてもらった。
(かばんにミーさんのサインペンが入っていたので助かった〜)

 クマさんとは、88年の終わりか89年の始め、スティングの東京ドームライブに2人で行った。そのしばらく前に、渋谷の書店でレジを打っていたわたしに、「エンドーさん、何してんノオ?」と素っ頓狂な声を挙げて呼んだ彼。当時本屋のバイトはフルで働いても時給340円か430円で(あまりに昔のことで忘れた)、7000円のチケットを買うために、貧困な数週間を過ごした。スティングのライブ以来すっかり音信不通となっていたのに、またこおんな所で再会できるとは面白い。クマさんは、ポリスの再編成ライブには、奥さんと行ったそうだ。このメンバーで、バレンタインデーに、奥さんあるいは彼女と過ごしたのは彼のみ。
 2人は「最初の3曲でもう泣きそうだった。みのりちゃん、外したよ」とずうっと言っていて、悔しかったあ〜。

 そろそろ終電がなくなる頃。
タクちゃんとこーちゃんは横浜まで帰らなきゃイケナイのに、居酒屋でうろうろしている。大丈夫だろうか?こーちゃんは、いつの間にか居酒屋のベンチみたいな硬い椅子に、ドターと寝てしまった。呑んでるのはクマさんとピース氏だけで、タクちゃんは食べもせずにニコニコ笑っている。そして、ハシゴするたびに支払いはタクちゃんがしてくれ、タクちゃんはみんなのことを上手の褒め、デパートでのスリの捕まえ方などを教えてくれた。すごく面白いお話だった。

 今年は男子は厄払いをする歳で、お正月に指宿で厄払いも兼ねて、男子だけの中学同窓会があった。でも、東京のみんなはお正月に指宿まで帰ることができなかった。
タクちゃんが「ぼくは厄年じゃなくても、毎年厄払いをしてるんだけど、今年はやらなかったんだよね」とニコニコして言う。
「今からでも行かなきゃね、って言ってたら、実家から電話来てさ。親父が病気かもって言うんだよ」
ちょっと笑おうとしてるけど、もう冗談ではすまされなくなってしまった。
 わたしは「こりゃまずい」と思った。そういうことには詳しいこーちゃんも、言葉を失っていた。
「ぼくの厄を親父に回しちゃったかな?」
ほら、来た。これはまずい。非常によくない。

 タクちゃんは、こーちゃんやその他の同級生たちと同じで、常に、家族のことを思っている。できるだけ帰ってあげたいと思っているし、歳とって来た親のことを、いつも心配している。そこへきて「厄払いをやらなかった時に限って」というような本日の状況で、親父さんが病気になってしまったら、絶対に彼は自分のことが許せないに違いないのだ。
 その時にはわたしには何も言えなかったけれども、その時からずっとタクちゃんのお父さんのことを考えた。

 私たちの親は、もう70歳前後だ。おじいさんだ。子供会やPTAで顔なじみだったおじさんたちの中にも、もう会えなくなってしまった人がいっぱいいる。だから、きっと《みんな》そのうちガタが来る。今後ますます弱って来るに違いない。でも、タクちゃんのお父さんは、今日、この日に、病気になってはいけない、と思った。そんなことをしたら、お父さん思いのタクちゃんは、ずっと後悔するに決まっているので、それは友人としては困る。とりあえずは今のところ元気になっていただいて、反省しているタクちゃんが、親孝行に励む機会を与えてあげて欲しいと思った。

 タクちゃんと東京でお別れする時には、大したことを言ってあげられなかったけれども、こーちゃんやみんなが力になってくれるだろう。この《病気かも?》事件を境に、びびったタクちゃんが反省して、もっと頻繁に指宿に帰ってあげるようになったらいいな、と思った。そうして、わたしもとっても反省した。急いで指宿に帰りたくなった。

 東京にいたら、《明日》には指宿に帰れるから、いいなあ〜。
と言ってる間に、夜が明けて、あらあら、《今日》になっていた。

こーちゃんとタクちゃんは、横浜に向けて帰って行った。あのスーツで、そのままお仕事なんだろうか?
 わたしはクマさんと同じ電車に乗り、クマさんにいつかフランスで個展をやってねと懇願し、フランスでどんなアートが流行っているかの話をした。こんなシャイなクマさんも、いつか世界に羽ばたくかも?
 やっさんが品川のホテルで落ち合って、いっしょにごはんを食べて、羽田に送ってあげるよと言ってくれたので、とっても安心。
「また近いうちに会おうね」と言って、《来週》にでも会うようなお別れだった。
《来週》もみんなに会いたいなあ。

朝帰りのわたしにもホテルの人はとっても親切。ゆっくりお風呂に入って、荷造りして10時まで寝た。
  

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