2008/01/31

放っておきなさい とのこと



 トゥールーズを過ぎたら、マドリッドの標識を見て進む。
カルッカッソンヌのお城を左手に見て、しばらくすると、スペインに向かう道と、コートダジュールに向かう道に別れる。高架の高速道路となり、風力発電の風車の羽が、目の前に迫って来る。ここまで来たらナルボンヌもすぐそこだ。

 家を出てから、コーヒーメーカーのスイッチを切らなかったことに気づき、Uターンした。やっと広い道路に出たと思ったら、ゾエが吐きたいというので車を停めて、なんとか、靴は汚さなかったけど、コートはどろどろになった。それを見たノエミが続けて吐いた。

 ナルボンヌに近づいて来ると、なんとなく「南だ〜」という気分になる。どうしてかなあ?と思ったら、道ばたの木々に白い花が咲いているからだ。梅かと思ったら、ノエミが「アーモンドの木だよ」と言う。「アーモンドは冬に花をつけるんだよ。」ポカポカ暖かい、春のような一日が終わろうとしていた。

 ナルボンヌには予定を大幅に遅れて4時半に着いた。カーモーからナルボンヌまで、高速道路で来たことがなかったので、まさか13ユーロも掛かるとは思っても見なかった。お義父さんはコートを着て、門を大きく開いていつでも車が出せるように待機しており、お義母さんは「はやくはやく」と言って、ゾエを引き取ってくれた。わたしとノエミは競い合うようにトイレに駆け込み、ゲロのにおい漂う手を洗って「ゾエをよろしく〜」と叫びながら義父の車に乗った。

 義父の運転はこわい。何度も死ぬかと思った。ノエミもわたしも緊張していて、口数が少なく、わたしは何度も後ろを振り返って「ノエミ、吐いてないでしょーね?」と言った。

 モンペリエの町は帰りの通勤ラッシュで渋滞。ほぼ空のトラムウェイが、優雅に町を走って行く。「あれに乗って行けばあっという間に着けるかもしれないが。。。」お義父さんがつぶやく。そして「暗くて標識が見えない」とか言いながら、何度も道を往復し、「こっちですよ」と言ってるわたしの声は全然聴こえないもんだから、あっちに行ってしまい、クラクションの嵐を浴び、とんでもない所で大げさなバックやターンを繰り返し、歩道に乗り上げ、通行人を踏みそうになり、わたしはまた「今日こそはだれかが死ぬ」と思いながら、両足を踏ん張っていた。彼の行動に口出しをすると、キレてもっとひどいことになるので、じっと運命に身を任せていた。

 約束の時間に30分以上遅れてしまったけれども、先生はまだまだほかの患者さんの相手をしていた。モンペリエには薬剤師になる学校や、医者になる学校が至る所にあって、それぞれの医学の専門の病院がたくさんある。病院マークが数限りなくあるので、わけわかんなかった。ペイロニという病院を探した。
 廊下に椅子を置いただけの待ち合い場所に座っていると、脚の悪い子どもや、体中の骨が曲がった子どもが通過して行き、ノエミがビビっている。わたしは付き添っている母親や父親のことを思い、両親とは違って明るい顔をして、大きな声で話す、小さな入院患者たちを見つめた。壁には『ライオン・キング』の巨大ポスターや、春の花の絵が掛けられ、2月の最初の週末に病院内で行われる、仮面仮装大カーニバルの派手なポスターがあった。
 
 アラブ系の訛りのあるディメグリオ先生は、クリスマスの前にアルビで撮ったレントゲンとスキャナーにちらっと目を通した。そして、ノエミを廊下に出して、そこを歩いてみなさいと言いながら、見てるのか見てないのか分からない様子で、廊下を通った助手に何やら指図をしていた。
 部屋に戻ると、大きな椅子にどかっと座り「なるほど。こりゃあ変な歩き方だ」と言った。義父のことをノエミの父親だと思っているらしく、義父に向かって話す。
 どうして、カーモーくんだりからやって来たのかと訊かれ、トゥールーズのどこの医者に見せたんだ?と言われた。

 トゥールーズの医者が「これは矯正が必要です」と言って造ってくれた矯正の器具を袋から出したが、それにも「ちらっ」と目を向けただけで、手に取ろうともしなかった。ノエミの身体の至る所のサイズを測り、録音のレコーダーをつかむ。

 「マスリ先生にお手紙を書いてください。(これは秘書に言ったんだろう)ノエミの骨には異常はなく、変な病気でもないので、心配しないように。今後よくなるくなることはあっても、今以上おかしな歩き方はしないでしょう。わたしは彼女の症状を《チック》の一種だと断言する。(《チック》は、日本語にすると《けいれん的(反射的)な動作あるいは《妙な癖》ということ。北野たけしが肩をひくひくあげるような、あれ?)思春期の変化とともに、この歩き方も、彼女の意識次第で変わって来ると思われる。どんなスポーツにも影響はないし、身体のどこにも悪い影響を及ぼさない。両親は、この歩き方のせいで彼女の身体の発育を疑ったり、親のせいで骨が曲がっているのではないかなどと、自分たちを苦しめないこと。どんな矯正器具も、治療も必要ない。無理な運動や医療器具による矯正を強制しないこと。ノエミは学校でよく勉強し、いい子どもであることだけを考え、脚のことは人に言われても気にしないこと。家族は脚のことを言わないで、放っておいてあげること。」

「確かにこの歩き方は美しくない。」と先生に言われても、ノエミはニヤニヤ笑って、「タンピ!(仕方ないじゃん)」と笑っている。先生はわたしを見て、「ほらね。まだぜんぜん自覚がないから、そのうち恥ずかしくなったら、美しくなる努力をするようになるよ」と言った。

 ずっと前からJPは言っていたのだ。「ノエミは、疲れているときとか、人前に出るとき、脚を見られてると思う時に、特にひどいような気がする。だから、いつもいつもひどいわけじゃないと思う。それは、つまり、どこかが悪くて、ちゃんとした歩き方ができないのとは違う気がする。気分の問題じゃないかな?」

 わたしは、5年ぐらい前に「これはあとでよくないことになるかもしれないから、今から矯正を」と偉ーい先生に言われたので、ずっと気にしていたのだ。そのあと、二人の医者が大した検査もしないまま「大丈夫、放っておいても成長とともに良くなるよ」って言った時に「検査もしないでよくそんなことが言えるね」と思った。

 中学生になって、ノエミが腰が痛いとか、足首が痛いとぼやくたびに、絶対にむかし矯正器具を途中でやめてしまった例の骨盤と膝の問題が今現れたのだと思った。あの時には矯正器具には何の効果もないと思ったけど、やっぱり何かあるのだと。

 でも、ディメグリオ先生は「中学生ぐらいだと、みんなあちこち痛いのだ」と言い、「ノエミのは、骨盤や膝のせいじゃない。ほかの子どもたちと同じ成長期のせいだし、きっとカバンが重いせいだ」と言った。

 そして、これまでの誰よりも自信を持ってこう言ってくれた。
 「放っておきなさい。自分で意識したら、良くなります。お母さんはもう自分を責めたりするのはやめなさい」
さらに「大人も子どもも、もうその件を口に出すのをやめて、すっかり忘れてしまいなさい」
なんと嬉しい解放だろう。
 これまであんまり言い過ぎたから、だから、子どもの方も「自分の脚は曲がってる」という暗示にかかっていたんだろうか?泣かせても矯正器具をつけさせたことなんかが、とってもかわいそうに思える。

 すっかり真っ暗になったモンペリエの街を、道に迷いながらやっとのことで抜け出て、世にも恐ろしい《義父が運転する高速道路》を逆行し、義母とゾエの待つナルボンヌの家に戻って来た。義母に「精神的なことで良くなるかも」って要約して話したら、「じゃあ、わたしは美しくなるんだって暗示をかけて、モデルのように歩く練習をしなきゃだめね」といきなり盛り上がってきた。
「いや、、、もう放っておいてあげて」とわたしは言ってるのに、ノエミには「美しくなるためにはオンナは苦しい努力をするものよ」なんて言ってくれてる。

 とにかく、変な病気でも、骨の異常でもないというレントゲン技師の評価が確認できたのでこれで安心できる。遠くまで行った甲斐があった。マスリ先生のジェネラリストの診療所では、半時間ぐらいで22ユーロだが、ディメグリオ先生の20分の診察は100ユーロも掛かった。空っぽの小切手を切りながら、カーモーに帰ったら真っ先にJPにお金をせびらねば〜〜と青ざめていたわたし。でもこれで安心して眠れるんだから、お安いもんさ〜〜。

 木曜日の午前中にカーモーに戻って来た。ノエミが車の中で「吐きたい」と言う前にも〜う吐いていた。二回も吐いた。ゲーゲー袋まで用意してやったのに。コイツはもう〜〜。
「おまえはボボ以下だ〜!」と怒鳴り散らしながら、いつもの母に戻ってしまったわたし。。。。。
健康第一、怒鳴る声に力がみなぎっているのが、わたしらしくてよろしいのだ〜〜。


皆様ご心配おかけしましたが、ノエミはタダの《変な内股オンナ》だったことが判明しました。これからは脚のあたりは見ないでやってください。よろしくおねがいいたします。恋でもすりゃ〜美しくなるざんしょ。とにかく ほっ

2 commentaires:

そわか a dit…

 娘さんの足への長年のご心痛が晴れる出会いに巡り会えてほんとによかったですね。
 「ディメグリオ先生」はブログを拝見させてただいているだけでこちらも心強くなるような「よきセンセイ」とお見受け致しました。よき出会いに感謝ですね~
 昔から「親思う心にまさる親心」と申します。
 乗り物酔いや運転への心配など、かなりハードな旅のように推察いたしましたが、それらものちのち皆さんで笑える良き思い出となることでしょう。
 ご家族の皆様のご健康とお幸せを祈っております。
 

minori a dit…

そわかさん
 いつも「人」に助けられているような気がします。苦あり楽あり、寄り道ちしたり、つまづいたりもまた、ほどほどならばすぐに笑い話ですねえ。
 去って逝く人にありがとうと言える、新しい命に声援できる、面白い人生を、わたしは歩かせていただいているなあと思います。
 そわかさんの新しい生活も、応援しています。