2008/01/11

けっこう悩んでます。

 マスリ先生から電話があった。
マスリ先生というのは、我が家のかかりつけ《ジェネラリスト》だ。
日本では《お腹が痛いなあ》とか《耳が痛いなあ》とか思ったら、《胃腸科》やら《耳鼻科》を勝手に選んで行くけれども、フランスはたいていの場合はまず《ジェネラリスト》に相談に行く。基本料金は22ユーロで保険で全額戻って来る。
 《ジェネラリスト》が内診、問診をして、「レントゲン技師に会いに行ってください」「血液検査をしてください」と指示するので、レントゲン専門の病院と、検査専門のラボに出掛けて行き、検査結果が出たら(その日のうちに出るとは限らない)またジェネラリストのところに戻る。そうして「これは胃腸科じゃなくて、泌尿器科です」とか、「耳鼻科じゃなくて、脳みそのスキャナーを取り直しなさい」とか、ちゃんと指示してもらった上に、紹介状も書いてもらえる。

 クリスマスの前にノエミが「腰が痛い」と言った。
 中学の新入生は「みんな腰が痛いって言ってる」といううわさだ。何しろカバンの重さが10キロを超えてるんだから、腰はギシギシ言っているのだ。
 もしかしたら生理が近づいてるのかもしれないし(いちおうまだ)、引っ越してからずっと寝かせている折りたたみベッドのせいかもしれないし、ただ「腰がいたいと言ってみただけ」の可能性もあるし。。。母はいろいろ悩むのだ。(医者に行った翌日には腰がいたいと言わなくなった。病は気から?医者の顔見てすっかり安心?)

 数年前に骨盤と膝が曲がっているせいで、矯正の器具をつけさせられた。腰にベルトがついていて、太もも、膝、ふくらはぎと足首がベルトで固定されたバネ入りの金具で、その金具は革靴に接着されている。『巨人の星』の《星飛雄馬》の腕が連想されるような代物で、まったく美しくないし、邪魔だし、心地悪いし、しかも軽いバネ入り金具なので、全然「固定されてる」って気がせず、娘を泣かせてまで矯正器具をはめてやりながらも、じつはわたし自身「効き目あんのかよ〜」と、頭から疑っていたのだ。

 腰が痛いのは、もしかしたら脚が曲がっているせいじゃないか(実際には骨盤と肘の角度のせいで内股)と思ったので、マスリ先生に数年前のレントゲンとスキャナーを見せた。先生は「こりゃあ〜ア専門的すぎてわたしには理解できません。レントゲンも古いので、取り直して、専門家に見てもらいなさい」と言った。
 専門家というのはモンペリエに住んでいる。
モンペリエはナルボンヌからマルセイユに行く途中にある街で、たぶん1泊覚悟じゃないときついだろう。そこまで行くのは平気だ。しかも医者のところなんだから、行くしかない。

 脚が曲がってること自体に関しては、いくら「美しくない」と言われても、どうってことはない。体育の授業にも支障がなく、どんなスポーツでもできる。(内股だからスキーは極端に苦手)美的欠陥なんて内臓が悪いのとはわけが違う。ノエミ自身も卑屈になったりしないと思う。ただ、今度会う先生は、わたしに「今すぐ直しなさい」か、あるいは「一生治療の必要はないですよ」と断言してくれるのだろうか?小さなことがあるたびに「脚のせいじゃないだろうか?」といちいち不安になったり、「あの時治しておけば」と後悔しなければならない日が来たら?

 解決できない試練はないといつもJPが言っている。問題には必ず抜け道があるって。
わたしはそれに「健康でさえいれればね」って、付け足すのだけれども。
 自分が40年も生き延びて来れたのは、健康な身体で生まれさせてくれた両親のおかげと思うとき、もし娘のことを「この脚、変」と言われたら、やっぱり気になる。気にするなと言われても、気になる。
わたしにとっての問題は「気になる」ということで、たとえ家族の病気が治らなくても、そのことに関してわたし自身が気にならなくなったら、わたしの問題はなくなるといことだろうか?死んだ人に対して、もう会えないことをちゃんと理解し、ついに諦めることができて、ほっと安心できるような瞬間と同じ?《仕方ない》と言える瞬間?

 とにかく気になってしょーがないので、モンペリエに行くとする。諦めるのは嫌い。《エンドーはめげない女》なのだからして。

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