2008/01/07

わたしたちの新学期

 木曜日辺りから、ノエミがストレスを溜めに溜めてる。
「学校に行きたくない」と言って、オタオタしている。
宿題が終わっていないらしい。
おばあちゃんちに行く時に、宿題を持参したはずだったのに、肝心なコピーや宿題に必要な本を、一部カバンに入れ忘れ、すべての宿題を終えることができなかった。

 わたしは宿題をぎりぎりまで溜めておく方だったので、まあ、焦る気持ちもわかるけど、そんなことは言わない。「宿題は休みの始めに全部終わらせておくべきだったでしょ」と怒鳴りまくっている。こんな母親が居ると子どもの家庭内でのストレスが高まる。

 ある日などは泣いて喚いて「どーしよー」と騒いでいた。
確かに先生がやって来るように、と言ったことがあったはずなのに、それについてどこにもメモしていない。先生は「メモしなさい」と言わなかった。かすかに記憶している「宿題」は、教室でそれを言い渡された時点では、やり方がわからなかったので、あとで訊きに行こうと思っていたら、時間がなくて訊きに行けず。。。などなどなど。。。言い訳をしている。

 メモしてなかった、実際にはあったのかなかったのか、わたしにはさっぱりわからない宿題に、彼女は悩み泣いた。恥を忍んで友だちに電話させたら、なんということもない結末だった。先生は「休み中に個人できる復習」としてXページを読んでおいたらいいですよ、と言っただけで、正式な宿題ではなかったのだ。やっておいたら得、とのことで無事解決。
 晴れやかな顔に変わったその夜には、今度は「新学期から鉄棒があるので、学校に行きたくない」と言い始めた。

 鉄棒をやることに、自分の今後の人生にとって、どんな意味があるのか理解できないし、とっても危険なスポーツなんだから(じつは鉄棒の時間に転んで手首を骨折した経験アリ)、なんで無理にさせるんだろう?横暴だ!とまで言っている。
 体育の時間が無駄ではないことなどなどについて、親二人で説明。
「でも、やりたくないんだったら、自分で先生に言いなさいよ。人生にとって鉄棒にどんな意味があるのか質問しなさいよ。先生が答えられなかったならば、その時に、その先生を信じていいのか、従うべきなのかを、改めて話し合おうよ」って言った。うちで鉄棒の意義を訊かれたってねえ。。。

 体育の授業は1週間に2時間で、ノエミだけがみんなの前で鉄棒に触れている時間は、おそらく3分か5分か、それぐらいだろう。鉄棒から落ちて恥をかくとしても、一瞬のこと。
 宿題を忘れてしまったとして、先生が学期末の成績表からマイナス一点をつけたとしても、普段から褒められっぱなしのノエミに、何の支障があるというのだろう。「1点ぐらいくれてやんなさいよ。自分が悪いんだから仕方ないんだもの」とわたしは言った。
 もし、宿題を忘れたせいで1時間の居残りを言い渡されたとしたら、喜ぶべきだ。1時間みっちりお勉強できた上に、「これからは絶対に忘れないぞ」という闘志が生まれるに決まってるんだから、ありがたく思いなさいよって言った。
 ただし、こういうことを言っている背景では、ノエミが「なんだ。だったら宿題忘れてもいいや」って思わない子だということを知っている母親が居るわけだ。

 プライドの高いノエミにとって、宿題を忘れてみんなの前で叱られるのや、パーフェクトであるべきの成績表に汚点が残ること、忘れていさえしなけば完璧だったはずの宿題で恥をかくなんて、どっおーーしても、我慢できないのはわかっている。だから、「気にするな」と言われるとますますストレスが溜まるわけなんだなあ。
プライドの高いオンナは手に負えない。

 数年前、妊娠中の体調に関する、不愉快な数々のことで愚痴っていたら、そのころ助産婦をやっていた滋賀の姉にこんなことを言われた。
「あのね、物指しを出して来なさいよ。それが人生だとしてね、妊娠中の時期なんて、ほんの数ミリじゃないの。しかも、不治の病とは違って、生んじゃったらその不愉快な重さとか苦しみは、終わるんだからさ。妊娠なんて人生の終わりじゃないよ」
確かに人生の終わりというよりは、悪夢の始まりだったヨ。

 先人の教えは役に立つ。姉の真似して「1日24時間のうちで、鉄棒に触れる辛い時間はたったの2分なんだから、そんなことで数日間悩んだり、楽しい夕食の時間を台無しにしたり、貴重な睡眠時間に眠れないとかいうのは勿体ない。たかが宿題ごときで、人生の破滅だなんてなげくのは、ばかみたいよ。鉄棒がこれからの人生にとって何の役に立つかと言うけど、世の中には「今すぐには役に立たないかも」ってことがいっぱいある。学校で勉強するひとつひとつは、外の世界を深く見つめる助けになったり、基礎になったりするはず。いろいろ無駄だな〜と思えることも、いちおうはやってみなくちゃ、無駄かどうか、今のアンタに何がわかるの?」と言ってみた。いちおう自分にもそう言い聞かせてみるのだ。わたしだってせいぜい人生のUターン地点ぐらいなので、わからないことがいっぱいある。そして、「その件に関してはお母さんも知りたいので、鉄棒が人生に何の役割を持っているか、じかに先生に質問しておいでなさい。その応えの如何によっては、その先生を信用しても大丈夫かどうか、お母さんが責任持って意見を述べるから。」
 と、言い渡して、学校に送り出した。
カバンが重いから学校に行きたくないとか、雨が降ってるから迎えに来てよとか言っている。
 なんだこいつめ。そういうことか。

 自分がどんな中学生で、どんな悩みを抱えていたのか、いろんなことを忘れてしまっている。お正月に指宿で、中学や高校の同窓会が開かれ、参加した友人たちから報告が来た。みんな楽しそうでうらやましい。でも、思い出話に花が咲いた様子を聞くと、「楽しいこと」はけっこう覚えていて、宿題忘れて焦ったことは笑い話になってることに気づく。「ヨネミツは怖かったよな〜」とか「カワナベの牛乳ビンは今だったら刑務所行きだよね」とか。。。過去の恐怖が笑い話。そして、なんであんなに先生が恐かったのだろう。ただのおっさんだったのに、どうしてあんなに巨大に見えたんだろう。子どもに恐怖を与える、あの威力はなんだったんだろう。

 ノエミも元気で大きくなって、友だちと宿題の恐怖について、笑い話ができる日が早く来たらいいねと思う。
学校というところは、わたしにとっては人生の始まりだったと思えるし、たまに帰りたいところでもあるので、やっぱり人生のなんセンチかの部分をちゃんと飾っているのだと思う。

さて、新学期。

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