2007/09/18

9月1日 


          民家のお庭で見た 彦根城の模型

 マンション11階のテラスに出ると、ラジオ体操のメロディーが聴こえてきた。
思わず腕が動き、両腕を大きく広げて深呼吸をはじめながら、「ああ、我も日本人なり、身体は覚えていたんだねえ〜」と深い感動に包まれた。でも、《ラジオ体操第一》の最後まで覚えていなかった。ショック。
 
 《ラジオ体操第二》が始まる前に、携帯にメッセージがどっさり入っていることに気づく。すっかり忘れていたけど、今晩から仕事。そのために日本に帰ってきたのだった。

 朝から姉と姪と三人で彦根市内を歩き回った。お土産屋さんは、昨日駅からマンションに戻って来る前にすませた。今日は本屋さん。
欲しい本はいっぱいある。読んでみたい本もいっぱいある。でも本は重い。料理関連の本と日本語関連の本をたくさん見つけた。JPと子どもたちが好きな、科学の本やふろくつきの雑誌も。わたしは友だちに紹介されていた『太閤の手紙』という文庫を買った。
 
 そのあと、おもちゃ屋さんを一周し、雑貨屋さんを一周し、母と同じく「仕事はちゃんとした服で」などと心配する姉に連れられて、また洋服屋さんにも行った。お昼は念願のお好み焼き屋さんへ。

 新幹線の時間まで、ちょっと昼寝をした。爆睡したら、気分が良くなった。

 姉と二人の姪が駅まで送ってくれた。別れはやっぱり辛い。子どもたちもずいぶん大きくなって、姉を助けてくれているが、この姉こそ、実家から遠い所で、若い時から一人でがんばってきたのだ。苦労をしていると思う。わたしも《遠い所》に住んではいるけれど、《言葉がわからない》とか《習慣が違う》などと、外国人であることを武器にして、すっとぼけていればすむこともある。フランス人と対等に仕事をしているわけではない。日本語を習いに来る人たちや、剣道を一緒にやっている人たちはみんな親日家で、日本人女性には甘く優しい。わたしはどこに行っても可愛がられている。
 でも姉は、看護婦という難しい仕事をしていて、風習がちょっと違う実家からは遠い町で、日本人としての厳しい習慣はあり、なまりは違っても言葉は共通な場所で、《よそから来た人》として苦労したはずだ。仕事をしながら子どももしっかり育てている。二人とも健康で健全で、お母さん思いのとってもいい子たちだ。偉いなあ。

 さて、名古屋。
 再び、名古屋駅からマリオットホテルの15階ロビーに上がる。ガールさんとボーイさんが、わたしの荷物めがけてすっ飛んで来る。ロビーでは、この上もない優美な敬語でご挨拶され、21階のお部屋まで荷物は届けられた。
 この、ホテルに着いてから、夜の約束の場所まで、一体なにをしたのか、すっかり記憶がない。
多分荷物を開いて、お風呂に入って、化粧をして、2階の車寄せホールまで降りたのではないかと思う。

 車寄せで、これから数日間一緒にお仕事させていただく、アさんとムさんに再会。お二方とは春にもアルビでお会いしている。名古屋人で、わたしの雇い主であるスさんの車に乗り、名古屋の夜へ出発〜〜。
 いきなり会議かと思って緊張していたら、《名古屋で一番おいしい焼き鳥の店》に連れて行かれた。いやあ〜おいしかった。
食事のあと場所をかえて、ホテルの喫茶室みたいな所で、夜の9時頃から仕事の打ち合わせを行った。スケジュールがびっしり。「遠藤さんの力量が出る部分」や「これは偉い人」などに印もついていて、ドキドキ。
わたしの力量ですかあ?もう消費しきりましたケド。。。
 途中携帯が鳴ったけれども、ブチッと切った。

 ホテルに帰り、先ほどの電話に返事を出す。名古屋版同窓会メンバーは、6時半からすでに飲み会を始めていて、わたしが合流するのを待ち構えていた。「会議は1時間ほど」とのことだったので、すぐに合流するつもりだったのに、焼き鳥屋と喫茶店のはしご、けっこうまじめな会議にて遅くなってしまった。みんなはホテルのわたしの部屋まで会いに来てくれると言う。ヒロタンなどは「最終に乗れるかな?」と言っている。一人は泊まるので大丈夫。もう一人は自動車で来ているので、帰る。
 ちょっとしゃべって、写真を撮って、「帰る」組が帰った。あっという間だった。
一日も、あっという間だった。

 21階から見下ろす夜景にドキドキしながら、明日の朝ちゃんと起きられるように目覚ましを掛けた。

 日はどっちから昇るんだろう?朝日の方向がわからないというのはやけに不安だ。

 

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