2007/09/15

8月30日



Aller voir mon instituteur de mes 9 ans, c'est toujours un grand plaisir pour moi et beaucoup d'emotion pour lui. Professeur Orita a 83 ans , il est malade. Mais il est toujours aussi bavard, nous avons beaucoup parle et il nous a servi du meilleur the du Japon : Chiran-cha.

J'ai fait beaucoup de choses en une journee, a la mairie , au temple, a la banque, chez un copain, voir les cousins et les cousines et aussi ma vieille tante.

Le soir, pas de fete avec mes copains mais avec un repas avec mes cousins.
En revenant chez ma maman, un ami est venu me chercher, on a fait un tour de la ville en voiture pour dire au revoir et a bientot.

市役所を訪ねた。市役所には働いている同級生がたくさんいるし、それに、いろいろな書類のことで用があった。母の車を借りて、午前中はいろんなことをするつもり。
 市役所のあと従兄の電気屋を訪ね、また別な従兄の事務所を訪ね、大阪の人にあげる指宿のお土産を買い、銀行に行った。昔は知らなかった一方通行がいっぱいあって、よく知っていると思っていた指宿駅前で、思いのほかうろうろしてしまった。
 母の車は右ハンドルで、道路は左側通行なので、運転するのがとっても怖い。日本にいる時には免許がなかったので、自分が車でこの町を走っているなんて、なんだか変な気分だ。

 銀行に行って、昔作った口座を解約しようとしたら、住民票やらカードがなかったので、完全に解約はできなかった。
口座は残して空にして、自然消滅するのを待つしかないそうだ。面倒くさいなあ。。。
 銀行の帰りに、幼なじみの聡くんの家に行って、おばちゃんとおしゃべりをして、そのあと、聡くんの愛読書をいっぱいもらった。聡くんは仕事のために、数年前にフランスに2年間住んでいた。今年こそは奥さんと一緒に観光でフランスに行くことを計画中だとか。 
郵便局から、フランスへ小包をひとつ送った。わたしがフランスに帰り着くまでには届かないだろう。あんなに考えてスーツケースを作ったはずだったのに、日本に帰ってきてみると、無駄なものがいっぱいあって、あしたからまたいろんなところに行くことを考えたら、フランスに送り返した方がよいものがいっぱい出てきた。
 
 午後は、小学校の4年の時の担任で、日本で結婚式をやった時に仲人をしていただいた、折田先生のお宅へ行った。折田先生は、定年退職されてから知覧町の実家に住んでいらっしゃる。知覧町は、特攻基地と武家屋敷と、そして日本で一番おいしい知覧茶の産地で、面白い風景が見られる場所だ。指宿市内を出て、山川、開聞、頴娃の豊かな自然を眺めながら、母と二人でのんびりと知覧町までドライブをした。最後に知覧町に来たのは家族といっしょに里帰りした時で、父が折田先生のために鯛のお刺身を用意した。父は先生の武家屋敷造りの庭で柿の木にのぼって、おいしい柿をたくさんもいだ。みんなで記念写真を撮った。ノエミがシャッターを切った写真では、父も先生も、わたしも笑っている。
 あのとき先生が趣味で手作りされる、クスノキで作ったおぼうさまをいただいて帰ってきた。先生が、どれでもいいから持って帰ってよいというので、父と一緒に選んで、弥勒菩薩やお釈迦様の像ではなく、その、名もないおぼうさまの木像をいただいた。わたしたちはフランスで仏壇の代わりにおぼうさまに手を合わせている。

 知覧の帰りに、指宿の墓地公園に行った。海を見下ろす美しい墓地で、春には桜が咲き乱れる、指宿でも一番いい場所だと思う。わたしたちはそこに、父のお墓を設けることはできなかった。母が歳を取ってしまってから、その高台にある自宅からは遠い墓地に、いつか通うことができなくなること心配して、父の大親友のおぼうさまとその息子さんが見てくださる町の納骨堂に、場所をいただいた。今年の春にできたばかりで、わたしはまだ見たことがなかった。
 納骨堂は狭く、その場所は清潔ながらも、暗い場所でしかなく、海も見えず、風も吹かない。わたしは父に対してとても申し訳なくなった。納骨堂を一周すると、友だちのお父さんや、ご近所のおじさんの名前などがあり、胸が締め付けられた。
 乗船寺の藤岡先生に会うと、いつも、どんな時でも、涙があふれてくる。優しい微笑みをたたえる、穏やかな目に見つめられると、言葉を失う。フランス語で書かれた浄土真宗の本と、お数珠や法語カレンダーなどをいただいて戻ってきた。わたしは、どんなところに父を預けているのか気になっているので、すこし浄土真宗のお勉強をしているのだ。

 夕方、エステをやっている同級生(あこがれのまみちゃん)の店に行って、眉毛をきれいに揃えてもらった。そういうことはやったことも、やってもらったこともなく、緊張してしまった。でも、学生時代にとってもあこがれていたまみちゃんが、なんだかとっても彼女にぴったりな職業に就いていて、相変わらずきれいで、はじめて2人だけでお話ができて、とっても嬉しかった。

 指宿最後の夜は、母とおばと三人でお好み焼きでも食べに行こうかと言っていたのに、いとこたちに強引に説得された母は、おばの家で夕食をごちそうになることを承諾していた。わたしはお好み焼きを食べに行けると思って楽しみにしていたので、ブーブー文句を言った。母は母で、わたしが毎晩遊び歩いているのがよくないとかなんとか、ブーブー言っている。実家で3日も過ごさずして、すでに親子喧嘩などをしている。あ〜あ
 
 いとこたちの(結局は)楽しい夕食を終えて戻ってきた。夜、同級生男子から電話があり、指宿をドライブした。
ーーーと、いうか、東京の友だちに渡してもらいたいものがあるから寄ると言って車で来たので、彼の車に乗り込んで「あっちへ行け。そこを走れ」と命令し、自分で行きたいと思っていたいくつかの場所に連れて行かせたのだ。
 でも、学生時代に、夜、車で、同級生男子(しかも中学生)とドライブしたことはないので、ちょっと期待はずれだった。夜の海に行っても、本当は友だちと遊んだ昼の風景が見たかったのだと気づき、何も見えない夜の海を見ながら寂しくなった。大隅半島に明かりが増えて都会化しているのも、ちょっと悲しかった。
 彼が掛けた昔のカセットが一周する前に、指宿を一周してしまい、わたしはやりきれない気持ちで、「また会おうねー」とお別れした。

 フランスから帰ってメールチェックしたら、この同級生男子から、わたしの見たかった《昼間の指宿の海の写真》が届いていた。
メッセージはない。写真だけ。でも、彼はわかっていたんだなあ、と思って幸せな気持ちになった。
持つべきものはやっぱり田舎の友だちだなあ〜〜。


 最後の日なので、温泉にはたっぷり、どっぷりつかったのであった。。。

日はまた昇る 大隅半島の向こうから。

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