2007/09/13

8月27日-28日

 最後の最後まで、スーツケースを用意していなかったので、出発前夜はほとんど寝ずに旅支度。
27日、トゥールーズを13時(日本時間27日の20時)発だったので、家を10時頃出て、空港で飛行機を見ながら子どもたちとサンドイッチを食べた。

 JALの国際線、しかも直行便に乗るのは、今回がはじめて。前はドイツとかイタリア経由の安いチケットで帰った。
「日本の飛行機なんだなあ」と思ってうれしかったのは、両足がぴったりと床についたこと。わたしは脚が短いので、飛行機でも電車でも、レストランでも映画館でも、脚がぶらぶらしてしまう。 飛行機の中でひと晩明かすとなると、脚がぶらつくことほど辛いものはない。いつも、飛行機に乗る時には、足元にバッグを置いて、足置きにしていたのだが、今回の旅行ではそれも必要なく足元すっきり。

 手荷物のバッグの中には、お仕事関連のお土産として頼まれたチョコレートが13箱。重かったけれども、日本に着いたら空っぽになると思ってがまんをした。日本は35度を超えていると聞いていて、溶けたら困るので、スーツケースの中に入れて預けることはできなかった。手に持ったら少しは安心できる。
「へへへ。帰りはこのバッグにお土産をいっぱい詰めてくればよいのだ」
甘いことを考えながら飛び立った。

 飛行機の中では映画を3本見た。本や雑誌を読んだ。結局、あまり寝なかった。
28日の13時(フランスは午前6時)に、名古屋空港に到着。空港で友達一人に再会。お風呂屋さんまである楽しい名古屋空港で、焼きおにぎりをごちそうしてもらった。
「日本のおいしい物を毎日食べてやるのだ〜」
食べたいものとは? きつねうどん、ラーメン、たこ焼き、お好み焼き、冷や奴、みそ汁、コロッケ、餃子、カレーライス、遠藤家のスパゲティーミートソース、などなど。
 まだまだ夢見る余裕があった。

28日15時40分名古屋発、17時(フランスは午前10時)鹿児島着。フミが待っていてくれた。ありがとう。子どもとは笑顔で別れたのに、フミの顔を見たらホッとして、涙が出てしまった。ううう、帰ってきたよお。

 渋滞の時間に引っかかり、指宿着は19時頃になってしまった。飛行機に乗っていた時間は合計13時間ちょっとだったけど、自宅を出てから実家に到着するまで、25時間以上も掛かってしまった。指宿は遠いなあ。。。

 はじめて見る父の仏壇の前には、わたしに見せたかったとおぼしき灯籠が、お盆が終わっても片付けられずに待っていた。
里帰りのきっかけとなった、《ミ》さんのチョコレートを、さっそくお仏壇に捧げた。

 母は、10人分ぐらいの煮物を作っていてくれて、肉厚のシイタケや昆布や厚揚げをたっぷり食べた。ミートソースは《明日》とのこと。楽しみだあ。

 しゃべりまくっている母に送られて、中学の同窓会会場となっている《むさし》に出向いたら、懐かしの野球部員やバスケット少年が並んでいた。
 その中に一人、名前の思い出せない人がいた。
「エンドーさん、ボクのことわかる?」と言われ、
「わかるよ、でもキミ、あだ名で呼ばれてたでしょ?本名忘れちゃったよ」と苦笑い。
いや、名前どころか、あだ名も思い出せないよ。悪いけど。するともと生徒会副会長の男子が、
「こい、あだ名はなかったいよ。みんなタムラち呼んじょったろが」訳「こいつ、あだ名はなかったじゃないか、みんなタムラって呼んでいただろう」
そうそう、キミにフォローしてもらおうと思ったわたしがバカでした。
同窓会が一気にもり下がった。そしてこれでわたしは
「おフランスに行って、同級生の名前も忘れてしまった薄情なオンナ」
ということになってしまったじゃあないの。
 本当は同級生の中でも、タムラ氏は顔と名前をよく思い出せるグループの一人だった。でも、その思い出の彼は15歳から歳をとっていなかったので、彼だとわからなかったのだ。25年以来の再会とは、かくもミステリーをはらんでいたのか。嗚呼。タムラ氏が「むさし」ののれんをくぐる前に、道路でわたしにばったり会ったら、わたしだと気づいてもらえたのだろうか。だめだろうなあ。

 東京でも25年ぶりの友だちに会うことになっている。一気に恐ろしくなってしまった。

《むさし》の調理人さんは、なつかしのおじちゃんではなく、後輩のアキラくんだった。遠くの調理師学校に通っていたアキラくんのこともよく覚えているけれども、彼もまた少年のまま記憶に残していたので、思わず「大きくなったねえ」と言ってしまった。(おばさんみたい)

 中学生から大きくなってないのはわたしだけだ。
もと生徒会副会長の男子から、
「エンドー、俺たちが中学の頃のおばちゃんそっくりやっどね」
と言われてしまった。たしかにわたしは、あのころの母の年齢になってしまった。(あの頃の母には白髪はなかった)
あの頃には、実家から25時間も離れたところで暮らすことになろうとは考えてもいなかった。母は「ああ、こんなことなら、北海道に就職することを、許しておけばよかった」と嘆いている。でも、県外に嫁いだ友だちだって、そうそうは帰って来れないらしいから、どこでも同じかも。

 「遠い所からようこそ」「お誕生日を外したから」「お年玉をあげてないから」と言って、お小遣いをくれる親戚のおばちゃんなどもいて、遠くに住んでいることや中学時代から大きくなってないことが、得することもある。

 指宿の温泉は、やっぱりいいなあ〜〜。

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