2007/04/29

よい一日でした

とし、貴子さん、麻美ちゃん、みなさんお誕生日おめでとう。そしてわたしも40歳になりました。
《ミ》さんのチョコレートケーキ。。。おいしかったです。

 青空の広がる日曜日の朝、ホテル一階のカフェで、ヤエル・ハッサンさんにお会いした。どんなサイズで何ページぐらいになるか、原作本の挿絵は使われないこと。わたしたちの本が入るシリーズが一体どんなものかをはなした。訊きたいことはたくさんあったのだが、時間がどんどん過ぎて行く。

 原作本からさし引く恐れのある部分、付け足したいこと、入れたい写真(挿絵)について了解を得た。そして、日本の子どもたちへ伝えたいことを一通の手紙にしたためて欲しいということも。

 原文から差し引いたり、加えたりすると、それはもう翻訳ではなくなってしまうと思われるかもしれないが、フランスの子たちに向けて書かれた本には、フランスの子だったら当然知っていることなどもあるので、難しい単語なのに詳しい説明がない場合がある。表現の違いによって、フランス語の小さな単語を日本語の長い文章にしなければならないこともある。いっぽう、フランス語には「わたしが思うには。。。」とか「これは当然なことだが。。。」とか、日本語にすると「。。。に決まってる」「。。。だよ」ですべて言えてしまうこともある。

 ハッサンさんとお話ししていて、彼女にびっくりされたことがいくつかあった。これは、わたしも翻訳するにあたって、とっても困っていること。

 フランス語では、英語のYOUにあたる単語が二つある。(VOUSとTU)日本語の一人称や二人称は一体いくつあるか分からないという話から、男性と女性の使う単語が違うこと。小さな女の子が自分のおじいちゃんと話すときと、よそのおじいちゃんと話すときでは文章が変わってしまうこと。おじいちゃんが孫娘に話しかける言葉は、お父さんが娘に使う言葉とは変わってしまうことなどなどを話したら、ハッサンさんは目を丸くしていた。
 
 レアがおじいちゃんの友だちのティポラさんというおばあちゃんと、大の仲良しになる。フランス語では、会ったその日には丁寧に話しているけれども、数ヶ月後にはこのおばちゃんとの会話は同級生との会話に近くなる。その違いを出したくて、翻訳では「マダム・ティポラ」と「ティポラさん」と呼び捨ての「ティポラ」と3つを使っていたら、編集者に「ねえ、ティポラ。そうでしょ?」なんて言い方は、よくないと言われた。曲がりなりにも70歳以上も歳の離れたおじいちゃんの友人に、そんなふうになれなれしく話したら、行儀の悪い子みたいだと。そうだなあ。。。わたしの本を読む日本の子たちが、行儀悪い表現を覚えたらまずいのだ。ふううん

 編集さんが戻してくれた原稿には「わかりにくい」「工夫して」という書き込みがいっぱいあった。これから一ヶ月ぐらい掛けて、もっといろんなことを調べたり、書き換えたりしなければならない。ハッサンさんが書いている『いまユダヤ人として生きること』『第二次世界大戦の暮らし』という参考書も、ずいぶん助けてくれそうだ。

 ハッサンさんに、日本人はおじいちゃんにむかって「愛しているよ」とか「抱きしめてキスをしたい」なんて言わないと思うと言ったら、びっくりされた。いつもフランス人に「ジュテームは日本ではなんて言うの?」と訊かれるたびに、困ってしまう。日本語ではなんというか知っているけど、「日本ではどんなふうに『言う』の?」と訊かれてもちょっと困らないか?テレビドラマ以外の場所で「愛してます」と路上で彼氏に抱きつくオンナはそうそう見かけない。見かけなかった、すくなくとも数年前は。。。わたしは40のおばさんだから、そういうことはデキマセン。
 
 父との別れのとき、父が最後の息をしていた時に、わたしはフランス人のように抱きしめてキスをしてあげたかった。でも、人前でそんなことをしたら「みのりはフランスかぶれしちゃったね」とネガティブに言われてしまうことがわかっていたので、みんなが部屋から出るのを待って、だれもいなくなってから、父を抱きしめておでこにキスをしてあげた。髪の毛に息を吹きかけて、「ほら、錦江湾の風だよー」と言ったら、すごくうれしそうにしていた。でも、「愛してるよ」までは言えなかったので、じつはとっても後悔している。

 自分の子らには好きな人に好きと言える子に育ってもらいたい。
(いまでも嫌いな人にははっきり嫌いと言える子たちだから大丈夫だろう)
 

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