2007/01/22

ラベ・ピエール 

 朝からずうっとラジオでこの人の名前がこだましている。
『国民に最も愛される有名な男性』の投票で、毎年毎年トップを飾っていながら、2004年には「自分をその賞から外してください」と辞退していた人。今年94歳だったそうだ。
彼の作った財団は http://www.fondation-abbe-pierre.fr/

 1954年に、戦後困った人たちのために、毛布を集めたことから始まったピエール神父の、『すべての人に屋根を』という運動。我が家から歩いて3分のところにある『エマウス』も彼が創始者だ。
 
 去年の春頃、義父母の親切心で、頼みもしないのに要らない家具をもらった。結局うちでは使わないので、JPが『エマウス』に寄付した。エマウスでは、要らなくなった物を、中古でも壊れていても、部品が足りなくても何でも持って行けば、修理したりリメイクしたりして、破格で一般の人に売ってくれる。そこの収益は、住む場所のない人たちや、フランスで最も貧しい人たちのスープや毛布を買うお金になる。そして、そういう人たちよりはちょっとは恵まれているけれど、経済的に困っている人たちにとって、エマウスで手に入れることのできる安い家具や衣類は、苦しい日常生活の助けとなる。がらくたの中から、ずっと探し続けていた部品や、壊したやかんのふたや、百科事典セットの欠けていた一冊や、一組だけ足りなかったコーヒーカップの、同じものを掘り出すこともある。蚤の市やアンティークショップのようでもあって、毎週金曜日の朝にその倉庫をぐるっと歩いて回るのが大好きだ。

 先日母が「フランスでは家のない人たちがテントで暮らしているってテレビで言ってたよ」と電話で話していたが、それは今話題になっている『ドンキホーテの子供たち』というグループだと思う。彼らが冬の間路上で凍死しないように、政治家は「冬の間の住宅を提供します」と約束して、みんなテント生活をやめてくれると期待したが、実際にはそれは「春になったらまた路上に戻ってください」と言われてるのと同じこと。だから、住所不定の人たち、低所得の人たちの生活を、基本的にもっと向上させるために、公共の住宅を増やしたり、補助や援助をより充実させることなど、まだまだテントからの呼びかけは続いている。
 ピエール神父も、ずっとそんなテントの横で、運動を続けて来た人の一人だ。

 彼の運動はフランス国内だけにとどまっていなかった。世界各地で彼の精神は生かされて来た。
彼はずっとずっと「わたしは死ぬために生きている」と言っていて、「死を待っていた」とみんなが言っている。94歳で入院したこの最後の八日間、面会したすべての人が「会うのはこれで最後だろう」と思ったという。ずいぶん弱っていたらしい。そしてみんな「彼の運動を続けて行こう」と誓ったそうだ。

 先ほど、わたし、銀行口座の寂しい残金を確認し、心寂しい冬の寒空の下を、とぼとぼ歩いて教会の前を横切り、自宅に向かいながら『エマウス』の前を通りかかった。いつも通り、でもみんなちょっと寂しげな顔をして、エマウスのボランティアの人たちが、カーモーとその周辺地域から寄せられた、古いソファーや冷蔵庫や、段ボールいっぱいの古着や、欠けたお皿、とっての曲がった鍋などを、おんぼろなトラックの荷台から降ろしているところだった。今度の金曜日の市のために。一方で要らなくなったものを、必要としている別な人の所に届けるために。わたしも今週ちょっと小銭を溜めて、『エマウス』でなにか買おうと思う。貯金箱なんていいかもしれない。いつまでも空っぽで溜まらないから、エマウスに持ち込まれた貯金箱だろうか?それでも、参加することでピエール神父を讃えられるかも、しれない。金曜日にはパリのノートルダム大聖堂で国葬が行われる。

 

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