2006/11/03

名残惜しいねえ

 子供たちは、仲良く遊んでいる。絶対に「帰りたくなあーい」と言うに決まっている。わたしだって居心地のいい《と》さんのお宅を出て、片道7時間も走る一日のことを考えると億劫だ。ああこんなにお天気がいいのに。。。

 おしゃべりに花が咲き、記念写真を撮って、《と》さんがサンドイッチを作ってくれている間に、車に荷物を積み込んでいたら、もう11時頃になってしまっていた。JPに「今から出るよ」と電話したら「まだそこにいたの!?帰り着けないよ」と言われてしまった。だからまさか「今からちょっと海岸と山にも寄ってから帰るから」とは言えなかった。

 トランクの中は来る時の3倍ぐらいの荷物になっている。《と》さんちでも《ち》さんちでも色んなものをもらってしまった。ありがたいねえ。。。ノエミの小学校で行われるスキー旅行で、買いそろえるものがいっぱいあるんだと愚痴っていたら、ちゃんとスキー用品まで出て来た。一応借りておいて、必要になった時に送り返すということになった。

 ノエミが絶対にモンファロンに登りたいと言っていた。ガイドブックによると、この山に行くにはロープウェーに乗らなければならない。自動車道路もあるが、細く険しい山道で「ママン、子供を殺したくなかったら、車は使わない方がいいよ」と言われてしまった。確かにうちのボロ車であそこまで行くのはどうかねえ。。。帰り道で旅費も乏しくなって来ているというのに、ゾエはただにしてもらっても、ノエミと二人で14ユーロも払ってしまった。《と》さんに作ってもらったサンドイッチを持参するが、12時発の上りが午前最後で、12時15分発の下りに乗らなければ次に山を下りるのは14時だと言う。14ユーロも払ったのに、モンファロンには登って降りるだけになるじゃあないの。悲しー。

 ノエミが「コートダジュールでただ一つのロープウェーなんだよ」と言い、ロープウェーに登る価値について演説始めた。「はいはい、チケットね」と流して先に進む。すれ違った下りのロープウェーには20人ぐらいの大人が乗っていて、ぎゅうぎゅう詰めだったが、私たちの上りは貸し切りだった。
 とてもよいお天気だったのでトゥーロンの軍港がキラキラ輝いていて、停泊している軍艦も、きれいに見えた。
 私たちは山のてっぺんで写真を撮り、子供たちは岩の上を飛び跳ねて、12時15分発の下りに飛び乗った。子供たちはもちろん大喜びだった。(カーモーにはエレベーターもないからねえ)

 サンドイッチは海岸で食べることにした。海岸で食べていると、カモメが飛んで来て私たちのチップスやパン屑を手の届くところで食べた。水は少々冷たいのに、子供たちは大喜びで水遊びをした。(カーモーには海はないからねえ)

 日が傾いて来て、わたしはいよいよ帰り道のことを心配しなければならなくなって来た。

ノエミがトゥーロンのお土産を買うと言っている。わたしも絵はがきを買いたかった。ゾエはおやつーと言っている。また街に出て、駐車場を探し、港のお土産物屋さんを二軒廻った。子供たちはお小遣いでそれぞれ、お土産を買っていた。ゾエは木の漁船で、ノエミはガラス製の浮き。二人とも「ようこそ」という文字の入った、おもちゃの救命浮き輪を買っていた。部屋に飾るのだそうだ。わたしは昔の水兵さんの写真と、帆船の写真と、古き良き時代のトゥーロンの港の写真を買った。

 さあ、帰路につかねばならない。もう日が暮れている。これから7時間も本当に運転できるのだろうか。でも、これだけ遊んだら子供たちは疲れて寝てくれるだろう。

 あーまーい。。。ゾエはちょっと寝たけど、ノエミはしゃべりまくっている。
「入り込んだら抜けられないよ」と言われていたマルセイユに入り込んで、おまけに今度は本当に道に迷った。マルセイユを抜けきったところで、真っ赤な夕日が地中海に沈んで行った。

 7時頃やっと高速道路の休憩所で、コーヒーを売っているところを見つけたので、ちょっと休んだ。コインの使える公衆電話もあった。「まだ、モンペリエまでたどり着いていない」と言ったら、JPが絶句した。
 休憩したから今度こそ子供たちは寝てくれると思ったのに、「おなか好いたー」コールが掛かった。もうちょっと遠くまで行きたかったのに。。。
 8時頃、食事のために高速のレストランに入った。現金がもうほとんどなくて食事代が足りなかったが、ノエミのお財布にはまだけっこう残っていたので、ちょいと拝借した。高速にもガソリンにもずいぶんお金が掛かってしまった。しかも高速道路のまずいのに、高いレストランにまで入ってしまった。ああー。   つづく

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