2006/08/09

スペインへ

 さあ、スペインに向けて出発だ。
パリまで《か》さんを迎えに行くのは経済的にも肉体的にも、時間的なことやいろんなことを考えて、とても難しいことだった。それでパリでは乗り換えるだけにして、一気にトゥールーズまで来ていただいた。子連れでさぞ大変なことだったろう

 でも、せっかく日本から来るのに、パリも見ないフランスの旅なんて。。。パリに行けないならスペインかイタリアか、どこか行きたいなー、ということだったので、最初はイタリア方面を予定し、あとで変更してスペインへとなった。こうやって書くと簡単にそうなったみたいだが、いっやあー「ジローナに行く」ことが決まるまでには、なにかと大変なことがいっぱいあった。車、飛行機、電車で行ける場所を比較、ホテルを比較、見る場所の内容を比較などなど、パソコンと電話の前で大忙しだった。「予定立てるのはお任せ」ということだったのに、予定を立てるとクレームがついた。その代わり、「お任せ」ではない《か》さんも参加しての予定づくりとなって、とてもよいことだった。《か》さん慣れないながらも自分でどうにかやって東京に居ながらにしてスペインのホテルを予約、支払いまでしていた。えらいッ!

 とにかく、わたしが運転手とガイドをやるなら、ホテル代も交通費も出すと言ってくれてるし、従兄は勝手にやってくれるというので、スペインまで行ってしまうことにした。
カーモーからトゥールーズに向けて高速に乗り、途中カルカッソンヌのお城を見に行った。カーモーから約180キロ、2時間ぐらいの所で、二重の城壁に取り囲まれた中世のお城がある。

 まずここは駐車場を探すのでひと苦労した。《か》さんたちをお城の前で降ろして、お城からはるか遠い場所にやっと駐車場を探した。はるか遠いので、ゾエを連れてたいへんだった。
 お城はものすごい人で、ゾエを歩かせると、人に紛れて子どもが窒息しそうになる。わたしも背が低いので窒息しそうだ。《か》さんたちはお土産物屋さんなども見たいということだったので、またもやガイドにはあるまじきことだったが「勝手に行ってちょうだい」と言って、待ち合わせ場所を決めて、わたしとゾエはメリーゴーランドの所で待つことにした。昼間らこんなに疲れていて、スペインまでたどり着けるのか、すごく不安だった。

 そこからいよいよスペイン国境に向けて、再出発した。さらに一時間半ぐらいで国境を越えた。《国境》と言っても何もない。高速の料金所よりも簡単で、パスポートも見せなかった。ちょっとがっかりした。ピレネー山脈の山間に入って行くので、カーモーやトゥールーズとは風景がまったく違う。国境に入る直前、フランスの最後の町ペルピニャンに掛かる頃に、地中海がちょっとだけ見えていた。

 《フランス最後の休憩所、次の出口はスペイン》という標識が見えたので、そこでトイレに行くことにした。実はその標識が見えるしばらく前に、車に装備されているコンピュータ仕掛けの表示盤が、なにやら怪しげなランプを点滅していたのだ。「今すぐ整備をしてください」とのこと。レンタカーなので整備は整っている、はずなのに。《か》さんには心配させたくなかったので、一人不安で走り続けた。このまま夜になってからスペインについて、故障だったら大変だ。休憩所の人に話して、そのあとレンタカーの事務所に電話をした。《整備》というのは《定期検診の時期ですよ》という合図だった。急ぎじゃないらしい。レンタカー屋さんの言葉を信じて、そのまま続けることにした。
 ほかのみんなはトイレもすませ、おやつを買ったり、飲み物を飲んだりしていた。自動販売機のまずいコーヒーを一気飲みした。

 国境のそばだからフランス語が通じると思ったのに、ホテルの受付嬢以外は、フランス語がまったく通じなかった。でも、お金はフランスと同じユーロが使えるからたいへん便利。こんな風に自分で車を運転して国境を越えたのは初めてだったので、わくわくしたが、町の全体の雰囲気や、商店で売られているものは、南フランスとあまり変わらないので、ちょっと残念だった。やはりバルセロナ辺りまで行かねばだめだったか。。。

 ジローナという町には古いユダヤ人街があって、ユダヤ人の歴史に関する博物館があったのだが、それはゾエが疲れていたので、友達だけ行かせてわたしたちは外で待った。そのかわりカテドラル(大聖堂)には入った。11世紀から建設の始まったローマ建築のカテドラルは巨大で、12世紀に織られた国宝のタペストリーを見た。

 ユダヤ人街の細い路地で、レストランに入った。パエリヤを食べたのだが量がありすぎて食べ切れなかった。パエリヤはおいしかった。でもゾエが頼んだパスタはまずくて食べられなかった。パスタはやっぱりイタリアか。

三ツ星のわりに寝心地は悪く。やれやれ続く

 

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