2006/08/08

予定が狂う

 友達と従兄が来ることになってから「着いてからのことは任せる」と言われたので、はりきって予定を立てた。「今晩の夕食は何がいい?」と訊ねて「なんでも。。。」の返事が一番困るのと同じで、主張がない人の「なんでも」に応えるのは本当に大変だ。

 ただ、現地の事情を知らない人たちに「何が見たい?」と訊いたって「そこにはエッフェル塔は、ないよね?」などと言われるのが関の山なので、一応うちから半径100キロぐらいで一体何ができるのかを考えることから始めた。

 8月7日と8日は、とくに頭が痛かった。とりあえず、モーガンの車と、JPの助けと従兄一家の根性で、7日の夜中に無事カーモーの民宿に送り届けたので、第一のハードルは越えた。
 第2の8日は本当はミニバスを借りて、ジルッサンという町まで行き、そこから蒸気機関車で植物園に行ったあと、陶芸美術館を訪問する予定だった。でもミニバスは借りれず。わたしがうちの車で2往復して近場に行く案も考えたが、従兄の一家5人は疲れているので、お昼までそうっとしておくことにした。遠くまで行かずとも。
 民宿は《ラ・ファーゲット》というカーモー市内から北に車で5分の田舎にある。2往復して、お昼前に従兄たちを自宅に連れて来た。

 《ゆ》ちゃんと《か》さんは犬が苦手でボボが恐いので、テラスで食事したり、いっしょに犬の散歩をしたりすることができずにいたのだが、従兄の一家はみんな犬好きで、ボボとよく遊んでくれた。お昼はよそではなく《ダニエル家の庭》と呼んでいる《ジャン・ジョレス公園》でピクニックをしましょう、ということにした。手分けして食べる物を運び、ボボまで連れて、公園でピクニックをした。誰も来ない広い公園なので、みんな喜んでくれた。

 そのあと、歩いてカーモーの町を案内した。実は明日から3日間、わたしは《か》さんと県外へ行く。それでせっかく私に会いに来てくれた従兄には申し分けないのだが、3日間自分たちだけで生き延びてもらわなければならない。駅を見せ、バス停まで案内した。時刻表と地図を渡して、「悪いけど、どうにかやってよね」本当に悪い従妹だ。従兄は「電車もバスも好きだから、どうにかなるよー」と言い、けっこう心強いお父さんしてる。昔から口は達者な人であった。うちの家系の《知識人》でならした彼であったので、地図ぐらい読めるんだろう。英語も大丈夫そう?たしかに数学は強い、先生もやってたしね。ユーロのお買い物は大丈夫だろう。

 夕方、明日からの《か》さんとの県外旅行のために、やっと借りれたレンタカーを取りに行く。
JPにクレジット・カードを提出してもらう。すまないねえ。レンタカー屋さんには従兄が着いてきて、面白がっている。レンタカー屋さんに行く途中でJPが道を迷ったので、アルビの観光ルート以外の場所も通れた。帰りはレンタカーを運転しているわたしと来たので、遠回りをして、高速は使わずに田舎道を走った。車の中で従兄とたくさん話をした。
 
 従兄は今は、起業を考えている人たちを助ける仕事をしている。実はわたしだって、曲がりなりにもSOHOしている若き起業家であるからして、専門家のお話がただで聞けて、たいへんお勉強になった。そして、人とのつながりを大切にしようとか、いろんなことに関心を持って、自分を信じていこうとか。。。従兄がそういうことを言って、将来の起業家たちを励ましているという話を聞き自分がこれまで心がけてきたことが間違っていなかったんだと思えた。

 従兄のブログは《漂い人》というタイトルがついている。カーモーまで漂ってきちゃったお人。
フランス出発直前まで東京や広島を歩いていたらしい。ストップオーバーの韓国でも冒険してきている。ずっと調子よく喋っていたのに、ふっと声が聴こえなくなったと思ったら、グーグー寝ていた。あまりの突然さに、心臓発作かと思ったが、寝息が聴こえていたので安心した。忙しい人は、こうやって眠りにつくのもうまいんだろうか。やっぱり疲れていたんだろうなあ。
 「着きましたよー」というのが申し分けなかった。

 《か》さんと従兄のおくさんの《の》お姉さんは、すっかり意気投合している。農場から届けられた野菜も、ちゃんと受け取ってくれていた。子どもたちも和気あいあい、ボボもうれしそう。テラスでボボも揃って、テーブル二つでにぎやかな食事をした。暗くなり始めていたが今後連れて行けないかもしれないので、カーモーが誇るキャップデクベート(炭坑あとの穴)へ。
 「明日は満月だね」という、大きなほぼ丸い月がどーんと華やかに出ていた。

 騒がしく落ちつかないけど、にぎやかでとってもいい感じ。

 明日から3日間従兄たちとは別行動。
申しわけないけど、こっちもけっこう楽しみ。へへへ
                     まだまだ続く

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