2006/06/24

宴会

 アントワンくんの具合も良くなったので、予定どおり、モーガンたち家族を夕食に招待した。

 モーガンはカンボジアで生まれた。
 生まれた頃にカンボジアでは戦争をやっていて、母親を亡くしたあと、祖父母と父親と一緒にフランスに亡命した。父親はモーガンが3歳以上の時に、フランスで同じカンボジア出身の女性と再婚した。モーガンには三人の妹と弟が生まれたけれども、その時にはモーガンはすでにフランス人の家庭に預けられて、フランス人と同じ生活をし、カンボジア語も全く話せなくなってしまっていたので、カンボジア人の新しい家族とはうまく生きていけなかった。

 そのため、養子に引き取られたり、施設に送られたり、たまに家族と会ってけんかしたり、などなどしながら大きくなった人だ。彼女は口が悪くて、声が大きい。開けっぴろげでけっこう図々しいが、遠慮と親切はよく知っている。さりげない繊細な心遣いのできる人だ。彼女の口から親兄弟の話が出るまで、苦労ばかりで大きくなったような人だとは思いもしなかった。暗さのみじんも感じさせない。知らない人まであっというまに明るくしてしまう人だ。

 私は彼女といると、わがままを言うことや、やきもちを焼くことや、不満を言うことや、努力しないということの醜さを感じる。自分たちは裕福とは言えなくても幸福で、私にとっては不自由のない少女時代を過ごせたこと。毎日は会えないし、よく行き違ってもいるが、「そこ」に居て助けてくれる家族が、いまだに「そこ」にいるという幸せを感じる。助けてもらってばかりで、助けてあげられない、というあたりの一方通行だけれども。

 彼女は「みのりはフランスでたった1人でがんばっている偉い」と言ってくれる。「私たち似ているから助け合おう」と言う。ちっとも似ていないのに。母や姉たちが日本から送ってくれる小包みをみて、うらやましがる。中をのぞいて、「うらやましい」と言う。

 彼女が「うらやましい」と言うとき、私は素直に「じゃあいっしょに食べよう」と分けたくなる。彼女が居ない時に小包が届いたら、電話して小包みの山分けをとりに来るように言う。
 モーガンはカンボジアで生まれて、しっかりアジア人の顔をしているから、フランス人は「アジア人だ」と思って声を掛けてくれないこともある。フランス人からは「アジア人だ」と言って区別されることもある。でも彼女にはフランス人の文化しかない。
 アントワンくんとゾエは「ふたごですか?」と言われることがあるし、私とモーガンは「姉妹ですか」と訊かれることもある。(似てなくてもアジア系はみんないちおう兄弟?と言われる)

 モーガンは、私と居ると「アジア」の雰囲気を感じることができるようなのだ。私は「カンボジアの文化」というものは知らないけれども、モーガンは「アジア系」でいっしょくたにしている《フランス人》だから、日本もカンボジアもたいしてかわらないらしいのだ。ほかのどんなフランス人とも同じ考え方だ。

 うちに来て、漆塗りのお椀でみそ汁を食べたり、お箸でお寿司をつまんだりするのが、たまらなく好きだ。日本のものは何でも好きだ。アジア的な装飾品のような「物」は好きでも、「刺身」のような特殊な食べ物を「口に入れることはできない」という《アジア好き》はいっぱいいる。でも、モーガンは何でも好きだ。料理だったら、すぐにレシピを書き留めるし、写真だったらコピーして行く。私がなにか「あげるよ」というと何でももらって行く。

 食の細いアントワンくんが《ふりかけご飯》だったら何杯でもいけるということが判明したので、私もモーガンもアントワンくんに、せっせとふりかけご飯を食べさせている。

 夕食では、ブタ唐揚げの南蛮漬けと、まき寿司、カリフラワーとアスパラガスの酢みそ和え、グ沢山、豆腐とわかめ入りみそ汁(赤だし)、などなどを出した。普段は押し入れに入ったままの、お祝いの日のためだけのきれいなお椀や小皿を大放出した。

 とても楽しい夕食会だった。今度いっしょにアジア雑貨の店に行って、《日本人の台所に必要な物》をモーガンと2人で物色する予定。

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