2006/06/18

父の日

   キャップ・デクベートの大きな広場で、《風祭り》が催されていた。

凧上げや、ハンググライダーなどのお祭りだ。

去年も行きたかったのに、行けなかったので、学校のお祭りあとで疲れていたのだが、どうしても行きたかった。

 セネガルに住んでいた時に、JPは広げた羽の長さが3メートルぐらいにもなる、大きな三角の凧を持っていた。その凧には操縦用のヒモがふたつついていて、両方の取っ手を操って、空に《八の字》を描いたり、自由に円を描いたりすることができた。真っ白い砂浜の海岸に座って、何時間でも凧上げを楽しむJPを眺めて過ごした。大きな凧だから、私には操作できなかったのだ。風にあおられて、空に飛ばされることもあったぐらい。腕の力がなくて八の字なんかは絶対に無理だった。

「今日は父の日だから、パパの好きな催しに参加しようねー」と言って、凧を見に行くことにした。セネガルで遊んでいた大凧は、遊びすぎて壊れてしまった。でもしっかりモトはとったと思う。

 会場では、凧上げがすでに始まっていた。昔《インド人の黒んぼ》というゲームをよくやったものだが、フランスでは全く同じ遊びで「アン・ドゥー・トろワ・ソレイユ」という。「1.2.3」で動き回って、「ソレイユ」と言われたらぴたりと止まらなければならない。それを、空高くに飛んでいる凧でやっていた。八の字や円を描いて、暴れ回っていた凧が、マイクの「ソレイユ」でぴたりと止まるのは面白かった。

 その他にも、様々なタイプの風車や、風鈴みたいなもの、庭の飾り、テント、リボン、ありとあらゆる風にまつわるオブジェがところ狭しと並んでいた。本物の鯉のぼりも風にはためいていた。放送を聞いていたら、「世界の凧」の解説があって、日本の「紙製の凧」という言葉も出て来た。

そして、ふと、昔のことを思い出した。

 子どものころ、お正月に、父は畳一畳分ぐらいの紙製の凧を作った。ある年の大凧のことは特によく覚えている。じつはその凧のことしか覚えていない。数人で抱えて海岸に持って行ったのではなかったかと思う。

 母などが昔話をする時に「毎年、あげていた」というので、きっと毎年大きな凧をあげていたのだろう。姉たちにはもっと鮮明な思い出があるかもしれない。私が覚えているのは、自分よりも大きな紙の凧で、父が自分で描いた、なにか恐い絵が風に吹かれて、正月の冷たい空に高くあがっていったことだ。どんなふうにそれが地上に戻って来たのか、覚えていない。落ちて壊れたのか、壊れないまま持って帰ったのか、覚えていない。覚えているのは、空高くに飛んでる巨大な凧だけ。

 子どもたちを連れて日本に帰った時にも、同じようなお祭りがあって、子どもたちは会場でゴミ袋を利用した凧を作った。魚見岳の麓の、昔と変わらない風が吹き荒れる広場で、ゴミ袋の凧はよくあがった。ノエミが「日本で作った凧、どこにやったかな?今日持ってくればよかったね」と言っていたが、じつはその凧は日本に置いて来た。あの時に父と凧上げをすればよかったなあ、と思った。

 子どもたちに無料で凧を貸し出しているコーナーがあり、ノエミはJPと、ゾエは私と凧上げをした。遠くの空に入道雲がモクモクとあがっていて、真っ青な空をバックに気持ちよかった。鯉のぼりも元気よく泳いでいた。そういえば《空に泳ぐ本物の鯉のぼり》を見たのは、18年ぶりぐらいだ。

 ノエミとゾエの父も喜んでいた、と思う。

私の父じゃあないので、プレゼントはなし。

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