2006/06/09

文藝の春秋

   クレルモンフェランというところに住んでいる、日本人の友達が、ご主人の『文藝春秋』を束で送ってくれた。日本に居る時には買ったことも読んだこともなかった、分厚い雑誌だが、読むものがいっぱいあって、今の日本のこともわかるような記事があるので、もらえるならもらう。

 『文藝春秋』で『蹴りたい背中』などの芥川賞作品も読んだ。

 この週は、もう一人本を送ってくれた友達があった。

トゥーロンに住んでいる人で、彼女のご主人はフランス人だけれども、彼女は一年に何度も日本に帰るので、家の中には日本のものが溢れている。彼女は大変な読書家で、彼女の超乱読な友達から送られて来たり、自分で日本で買った本などを、読み終わったあとに私に送ってくれる。私と違って読み終わった本はすぐに処分したい性格。

 一年に1回か2回、毎回文庫本が100冊ぐらい入った大きな段ボール箱を送ってくれる。以前は渡辺淳一や、田辺聖子、遠藤周作が多かったのだが、この頃は藤沢周平や大沢在昌も入っている。青木玉とか、なだいなだもある。人がくれる本だと、自分では絶対に買わないだろうと思うようなものもあるので、なかなか読む気になれないものも、確かにある。でも、味見をして、意外にも好きになったり、偏見を持っていたことに気づかされることもあって、友達からもらう本には、よく驚かされる。

 天堂荒太の『永遠の仔』を貸してくれた人がいた。上下二段のページで、上下巻。とても長い小説だった。夜中にドキドキさせられるのが刺激的で、昔私は血みどろのホラーや、やくざの殺し合いの小説をよく読んでいた。『永遠の仔』はホラーじゃないのに、心の奥深くをちくちく刺されるような、陰険で、不安をかられる物語だった。夜中にドキドキして眠れなかったこともある。

 幼い頃に親から受けたせっかんや強姦が、大人になっても一生つきまとう、悲しい物語。一見して成功したように見える昔の少年少女の人生は、秘密で溢れている。誰も本気では愛せなくなってしまっている。誰にも心の中をのぞかせず、心を閉ざして暮らしている。

   登場人物の中に、親にこんな言葉を言って欲しかった、と後悔したまま死んで行く人がいる。

また、自分の親のようになってしまうことに恐怖を感じながら、自分など死んだ方がいいと思いつつも、生きて同じ間違いを繰り返さない努力をすること、生きて、死んだものたちのことを覚えていてあげること、生きていることに意味があるんだと、自分を励ます人がいる。小説の中で語られている数ヶ月は、登場人物たちにとって凄まじい日々だった。普通に暮らしていると思っていた隣人の、人生の節目を「目をそらさずに見てください」と突きつけられたような小説だった。

 読んだあと、子どもの育て方に気をつけようと思う反面、もう遅いような気もした。小さい時分の親の発する言葉や、体罰の影響を深く反省しなければならなかった。親の心子知らずで、子どもは勝手に大きくなっていると思っているのだが、まだまだうちの子たちは小さいから、「こんな私だって、子どもたちには必要なんだよなあ」と思った。親の背中を見て大きくなるのではなくて、正面からぶつかりながらも、心を割って話し合えたらいいなあ、と思う。

 ガミガミ叱りすぎ。

 反省、反省。

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