2006/04/08

一年経った

 父の一周忌だった。
 朝からお線香を炊いて、湯気の上がるご飯をあげた。だからと言って、何もない。日本の実家では人がたくさん集まることになっていて、長姉が「頭がおかしくなりそー」と言いながら走り回っていたに違いない。

 奈良から里帰りしていたおじがメールをくれて、母の誕生日のプレゼントと一緒に子どもたちの写真が届いたよとあった。ぎりぎりセーフだったらしい。親戚が集まっているところに郵便屋さんがおフランスからの小包なんか運んで来たら、さぞかし派手なコトだろう。なんだか親孝行な娘みたいで、トレビアンであった。

 滋賀の姉が帰れないと連絡したら「誰が帰って来てもお父さんは帰って来ないから」と言われたらしくて、かなりショックを受けていた。わたしは、その通りだから代わりに私ぐらいは帰ってあげたかったなあ、と思ったけど、たしかに誰も代わりにはなれない。

 夕食に呼ばれていた。「も」さんの家はうちと同じぐらい古い家で、うちと同じ一年ばかり前に引っ越して来て、うちのように自分たちで改修しながら、年中工事現場みたいなごちゃごちゃした家で暮らしているので、とっても気軽に寛げた。普段のうちの夕食よりも、3キロぐらい重い夕食だったが、おしゃべりの気軽さと一緒に、フォークも軽かった。

 JPは「も」さんとは数回あいさつした程度の付き合いだったので、大丈夫かしらと心配していたのだが、普段は人見知りをするJPに向かって、ジジ臭いとか、むっつりスケベとか。。。まあ、そんなことを平気で言える「も」さんなので、JPも面白がっていた。とっても楽しかった。

 テーブルの真ん中に、水に浮かぶ仕掛けのろうそくが四つ浮かんでいた。帰りがけに「も」さんが「みのりのお父さんのために、ろうそく灯したよ」というので、とても感動した。
 奈良のおじが「みんなでにぎやかにやっているよ」というメールをくれたお昼は、ちょっと淋しかったのだが、「も」さんのおかげで私もにぎやかに過ごせた。

 生きている時には遠くに居て、私のことなどは忘れているだろうと思って知らん顔していたが、今はどこから父に見られてるかと思って、気が気ではない。一年は早すぎて、成長はできなかったけれども、一応どこかで見られている気がして、過ぎた年よりはましになろうと思って暮らして来た。
 ここに、この場所に、私のやってることを見に来てまで、叱ったりはできないだろうと思うと、なんとでも言えるけど。ほんとうは、一年の間ずっと左肩の後ろ辺りから、父が怒鳴っている気配を感じていた。

 叱られてばかりというのはうっとうしいが、叱られなくなると淋しいものだ。

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