2006/03/15

忙しかった

 2月の終わりに、「ち」さんから一緒に仕事をしないかと誘われた。彼女はまだおっぱいをあげているような子供が居るのだが、《そろそろ何かしたい病》にかかっているらしい。
わかる、わかる。
 彼女も私と同じで、子供が生まれるまで結構バリバリやっていた人だから、家事や育児だけでこもっている生活に、不満足ではないまでも、ふと《何かしたい病》の発作に見回れるのだ。

 《何かしたい病》にはいろいろあるが、私たちの症状は。自分の力を試したい。能力を磨きたい。人に認められたい。何か誰か(家族以外の誰か)の役に立ちたい。誉められたい(イコール報酬あり)そんなところ。

 街に繰り出してショッピングで気晴らしする、お友達とお茶を飲みながらおしゃべりする、テレビの前に座って好きなビデオを見続ける、それでは気休め育児休暇にはなっても、自分個人のじっとしていられない性格が許さない。

 彼女が分担させてくれた仕事は、200ページの政令の誤訳探しと、文章をチェックする校正のような作業。すでに出来ている訳の1ページを修正するのに15分ぐらい掛けるとして、分担してチェックしたあと、それを交換しお互いの受け持ち部分をチェックし直すには、10日で充分だろうということだったので、私にもできるかもと思った。もらった訳文は難しくてよくわからない文章だったが、もっともらしく書かれている。政令など読んだこともないので、文体に慣れるのに時間が掛かりそうだ。

 15日の記録に「仕事が終わった」とある。13.14日はほとんど徹夜した。でもその数日後に、一度出した仕事を訂正することになって、結局三月いっぱいやった。15日に納品した時に、じつは不安がいっぱいあった。日本のクライアントから「何か修正したい所があったら言って」と言われて「それじゃあいちからやり直したい」と申し出ることになった。
 私たちの仕事はすでに訳された日本文を修正するだけだったはずなのに、いちいちフランス語と読み比べると、もとの訳文に誤訳がいっぱい見つかった。すべてのページをいちから訳し直した方が安全だということに気づいた。そして分担作業の危険(文体を揃えるなど)も出て来たので、後半私は「ち」さんから指示される調べものを中心に、全体は「ち」さんが訳しなおした。もとの文とははるかに異なる、大変読みやすくわかりやすい政令に生まれ変わった。
 最初に読んだ訳は政令だから難しかったのではなく、訳した人が理解していなかったせいで、正確に訳出できていなかった部分がとても多かったために読みにくかったのだ。

 子どもたちが学校に行く9時から、お昼ご飯に戻って来る11時半まで。子どもたちが出て行く1時半から帰って来る4時半まで。そのあとも夕食準備の6時まで。夜の部は9時か10時に始めて、夜中の2時から4時ごろまでやった。「ち」さんは赤ちゃんが夜泣きをしたり、もう一人の子供はうちよりも小さいのに、毎朝5時ごろまで仕事していた。

 結局、一ヶ月丸ごとつきっきりで、毎日ふらふらしていた。私は大したことができなかったので、「ち」さんはもっと大変だっただろう。彼女とこの仕事の件で交換したメールの数は870通にも上っている。
 夜中の仕事中、送ったメールにすぐに返事が来なければ「眠ってるの?」などというメッセージを送って起こしたこともある。「今イスから落ちそうになった」と書いたことも何度もあった。単発のおしゃべりメールを飛ばしながら、こんな夜中に働いているのは自分一人じゃないと思うと元気が出た。

 この一ヶ月の間にも、子どもたちと自分のために数週間前から予約して待っていた通院の約束や、人との約束、そしてノエミが入院するというハプニングもあった。家族はみんなイライラし始め、家は片付かず、アイロンがけを待つ洗濯ものは山積みになってしまった。しばらくこんなことはやりたくない気もするが、「ち」さんと二人、密かに「私たちもやればできるんだよね」と喜んでいる。

 もっと余裕を持って、家人に迷惑がかからないようにできたら面白い仕事だ。報酬は、15日に最初に出した仕事の時、100時間で5万円ぐらい?といっていたが、そのあと話し合っていない。結局一ヶ月で少なく見積もって250時間以上働いたとしても、10万円にも届かないだろう。200ページというページ数は、始めから終わりまで変わらない。それに費やした時間が増えたのは、翻訳者の腕の悪さと仕事のまずさということになるのだろう。

 「でも今回とっても勉強になったよね」
期待して我慢してくれた家族には申し訳ないが、この快感がわかるのは「ち」さんと私だけだ。

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