2006/02/23

かくれんぼ

 友達とCache cache (カシュカシュ・かくれんぼ)という映画を観に行った。Yves Caumonという若い監督の作品で、この日は「シネグテ(映画のあとおやつが出る)の日」だったのだが、監督さんも放映に参加していて、映画のあとおしゃべりすることができた。

 子どもたちがうるさかったので、監督さんに近づくことができなかったが、帰って来てから感想を書いてメールを送った。とても興味深い映画だった。

 まず真っ暗闇に「瞳」が出て来る。
こわい!! ゾエが泣くんじゃないかと思った。
その「目」は家の中から、外を伺い見るレーモンの目だ。
古い田舎の一軒家、ずっと前から売りに出されていたその家に、いよいよ買い手がつく。辺りに散乱している古い家財道具を、粗大ゴミとして片付けて行く。改装工事、引っ越し、、、その慌ただしい人の流れの合間を、ドアの後ろから草むらへ、犬小屋から木の陰へ。ちょこちょこと走り回って、こちらを伺っている「目」がある。人がいる。誰にも見えない。(映画を見ている人には見えている。汚いレーモンおじさん。映画中ひとことも話さない。)

 家の中に居られなくなったレーモンは、古井戸の中に隠れて暮らすようになる。夏。子供のプールで服を洗ったり、合鍵で台所に入って誕生ケーキの残りを盗んだりする。子供が井戸に落としてしまった風船を、さて、どうしよう。。。子供が探しに来てはまずいので、考えたすえ、勢いよく投げて、風船を井戸の外に送り出す。子どもたちは大喜び。井戸にお化けが居ると言って、井戸の中に靴やおもちゃやいろんなものを落とす。レーモンおじさんは、降って来るいろんなものを、少しずつ家の中に返しに行くのだが、靴がランプにブラ下がっていたり、ぬいぐるみが木の上に座っていたり、なかなかユーモアがある。子どもたちにバカウケだった。

 子供は「この家にお化けが居る」と言って面白がっている。見つけて友達になりたいと思っている。大人はだんだんおかしいことがわかると「お化けが居る」と信じたくなくて、ヒステリーになる。

 毎日その家の前を通過して「この家は何かおかしい。誰か居る」と感じていた郵便配達の女性が「レーモンには優しくしてあげないといけない。優しくしてあげたら、悪さはしないはずだから」という。村では、レーモンはとっくの昔に死んだと思われている、この家のまえの所有者だった。

 レーモンは日本の座敷童みたいだ。

 私は小さい時から、半開きのドアや暗い「隣の部屋」が大嫌いだ。置かれてある人形や写真が動くような気がする。 いつも誰かに見られている気がして、便器のふたでも、電子レンジのドアでも、タンスの引き出しでも、開けっ放しにできない。吸い込まれそうで恐い。誰かが出てきそうで恐い。誰かに見られているような気がしていやだ。

 でも、カシュカシュの映画を見て、「こんなおじさん」だったら家に居てくれたら面白いだろうと思った。家神を恐いと思うのはまちがっていたのかもしれない。

 家神が逃げて行かないような、おだやかな家にしなければと思った。

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