2005/10/31

母は夜なべをするに決まっている

 夕べから天気が悪くなって、今日は一日中冷たい雨が降った。雨が降ってちょっとほっとした。朝から吸血鬼と魔女と、小悪魔とクマと、スーパーマンが来た。うちにも魔女の服の上から、吸血鬼のマントを羽織った、怪し気な女が約1名。昨日ノエミにせがまれて吸血鬼のマントを作った。ゾエは、数年前にほぼ徹夜で作った大作、ノエミの「フクロウ」がまだ大きすぎたので、春のカーニバル用のプリンセスになった。(半袖の下から肌着を見せて、下にはズボンを履いている。)一日中魔法の杖を振り回してノエミを泣かせていた。

 JPが来月分の定期券を買うために街に出たのに、言うのを忘れたらやっぱりアメなど買って来なかった。近所の子どもたちが朝から気味の悪い変装で、アメをもらいに来る。雨が降ったので人数が少なかった。

 テレビがあったら、もっと気分はハロウィンだったかもしれないが、そんなこと今朝まで知らなかった。だいたいそれって、明日じゃないんでしょうか?

 毎年カーニバル、クリスマス、ハロウィンと言っては衣装を作っている。ハロウィンというのはここ数年商店街で盛り上がりを見せているが、時代背景はないと思う。フランスのお祭りではない。12月になったらクリスマスに向けて、学童(みたいな所。仕事のとき預ける)や、JPの職場や、JPの実家などでもきれいな格好をしなければならないので、私は着るものを作る。
 
 変装の衣装も、パーティードレスも、店に行けばいくらでもあるのだが、自分自身は既製服の合わない体格なので、既製服を買っても仕立て直しをしなければならない。だから自分で作る。子どもたちも私の作る服が大好きだ。この前もワンピースのポケットからネズミが飛び出しているアップリケに、胸には布製のお花。そこにてんとう虫のボタンがくっついている、というものを作って、大うけだった。すごく暇人みたいだが、服を作る時はだいたい夜を徹して作る。

 小さい時には母が生地を買って、よく仕立て屋さんで作ったお揃いの服を来ていた。三人姉妹で私が極端に小さいために、上2人がお揃いで、私はちょっと違うデザインの服などあった。夏休みに父の故郷の種子島に、お揃いの服を来て、母の帽子をかぶって(母は帽子屋だった)さっそうと出掛けるのが都会の子みたいで嬉しかった。あの頃は種子島にはフェリーで四時間ぐらい掛けて行っていたので、ちょっとしたクルージングだった。

 三人姉妹でお下がりのもらえる末っ子は得だ。上2人分の服もアクセサリーもある。
でも、ちょっと悲しかったのは、二番目の姉のお下がりが小さくなった頃に、一番上の姉の、二番目の姉とお揃いの服が待っていた。しかも私は成長が遅れていた上に、上2人は物を大切にするので、いつまでもお下がりが着れた。何十年も同じ服を来ている気分になった。
 
 うちの子たちは、お下がりも手作りも大好きだ。先日トゥーロンに住んでいる鹿児島出身のTが、ゾエにと言ってお下がりを送ってくれた。その中に6歳用なのにノエミ(8歳)にも大きいものが何枚もあって、本人も母も大喜びだった。大事に着せているつもりなのに、ノエミのお下がりはとても古くさくなってゾエには着せたくないことが多い。でも着せているけど。最近の子供の服は、流行に敏感でちゃちな作りになっていると思う。お下がりが前提ではなくなってしまって、この冬着たら終わり。。。ということなのかもしれない。

 去年日本に帰った時に、毎年ビアガーデンに着て行ったハイビスカスのムームーと、ダイヤモンドのついた(まさか)ピアノの発表会の服を持って戻った。
「ママン、まだこれ着れるね」と言われている。
丈と胸囲はいけるね。でも幅は。。。いちおう成長してしまった。はははーー

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