2005/09/11

あの、9月11日

  9月11日という記憶に焼き付いた日がある。フランスでは11・9 オンズ・セプタンブルという。あの日、私は商工会議所の会議に出ていた。語学教師が朝から集まって、その年の言語クラスの準備をした。

  お昼にはランゲージセンターからの招待で、アメリカ人とイギリス人の英語教師数名をはじめ、ロシア語、アラビア語、クロアチア語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語などなどの教師たちといっしょに、日本語教師の私も楽しく食事した。

  午後解散して、車のラジオをつけたらWorld Trade Center とPentagoneに飛行機が突っ込んだところで、「もう1機が行方不明」と言い始めたところだった。家につく間に、そのもう1機がどこか田舎に落ちたと報道していた。ラジオのアナウンサーが「これは冗談じゃありません」と叫んでいたと思う。1メートルごとにスピードが上がっていた。早くうちに帰り着きたかった。

 「世界大戦になったら日本に帰れなくなる」と思った。フランスにもいられなくなって、家族と引き離されるかもしれないと思った。私はフランス人と結婚しているが、日本国籍のままなので。

  その日うちにはJPの海軍の友達が遊びに来ていた。私が泣きながら帰って来たのを見て、「うそだろう?」と言いながら三人でテレビを見た。そうしている間に友達の携帯に電話が入って、すぐに地中海基地のトゥーロンから軍艦を出すので、いますぐ基地に帰って来い、という知らせだった。

   JPは、その前の年に、海軍を定年退職していた。15年勤めて契約が切れたためだ。ノエミが生まれたころは1年に6ヶ月以上は、海の上にいた。どこにいるのかわからないことがよくあった。いきなり電話して来て「先週はシェラレオネ沖で、難民に食べ物と毛布を配っていた」などと言っていた。「シェラレオネってどこ?」平々凡々に生きている人間は、そんな場所など知らない。

 今は毎日顔を見られるので平和だ。そう思っていて、その夜に帰って来なかったら、辛いだろうな、とは思う。

 広い意味で、JPが軍人でなくなってほっとしている。

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